2011年2月16日水曜日

思いがけない出来事



思いがけないことが、あるものだ。
昨日、素敵なことがあったので、言いふらしたい。

通勤中はウォークマンかiPhoneで音楽を聴いている。
音だけならウォークマンが良いんだけれど、Twitterで呟いたりしながら音楽を聴くために、最近は専らiPhoneを使っている。
通勤時間は、ほぼ1時間。
毎日、何となくジャンルを決めて音楽を聴く。
今日はクラプトン、今日は80年代に流行った曲、何となく南佐織、という感じで気ままに無節操に好きな曲を聴きながら、他愛もないことも呟くわけだ。

で、昨日は80年代前半によく聞いた安部恭弘さん、鈴木雄大さん、井上鑑さん、稲垣潤一さんの4人の曲を聴いていた。この4人は、ニューウェーブ4人衆と言われ人気を博した人達だ。
4人衆というと時代を感じるが、一言で言うと、とても格好いいのだ。
当時、YOKOHAMAタイヤのCMは、この4人か寺尾聰さんの曲が使われていた。
CMでは、グループCのレーシングカーがサーキットを疾走し、デザイナーのロビン・バードがサーキットで指示を出す姿が流れる。
そのバックで恰好よく盛り上げてくれるのが、彼らの曲なのだ。
ニキ・ラウダがタイヤを軋ませながらコーナーを駆け抜けて行くシーンのバージョンなど、映像の渋さと曲のスマートさも含めて、何せ恰好良かったのだ。

安部恭弘さんの「STILL I LOVE YOU」、「ジュリエット」、「裸足のバレリーナ」。
鈴木雄大さんの「レイニー・サマー」、「Woo」、「19600000の悲しい夜と眩しい夢」、「touch」。
井上鑑さんの「Gravitation」、「レティシア」
稲垣潤一さんの「ドラマチック・レイン」、「ロング・バージョン」。

などなど、これ以外も含めて滅茶苦茶格好良かった。

この当時、私は20代前半。
恰好良い車に恰好良い音楽。
私と同世代の人なら分かってくれると思うが、若い衆はみんなYOKOHAMAタイヤのCMに見とれ、彼らの曲に酔いしれた。
恰好よくて、クリアで爽快感溢れる曲は、本当に心地よかった。
この4人のコンピレーション・アルバム「MODERN WAVE」と「MODERN WAVE 2」を1年掛けて貯めたお金で買った宝物のステレオで擦り切れるほど聴いたものだ。
このアルバムのためだけに高いメタルテープのカセットも買った。
大好きなアルバムはたくさんあったが、その中でも特に大好きなアルバムだった。

そんなことを思い出しながら、昨日は彼ら4人の曲を聴きながら、呟いていた。
私の他愛もない呟きが、神奈川で歯科衛生士をされている女性の方の目に留まった。
彼女もこの頃のAORがお好きな方のようで、ご返信をいただいた。
そこから「MODERN WAVE」の話になって、思いがけない楽しい呟きとなった。
さらに、彼女がフォローしていた鈴木雄大さんご本人に「MODERN WAVE覚えてますか?」と彼女が呟いた。
すると、ご本人が、「もちろん!」とのご返事。
思わぬ展開にちょっと驚いた。

鈴木雄大さんは、私より1つ年上の51歳。
現在もご自身でライブをされたり、多くのアーティストに楽曲を提供されている。
MISIAの「飛び方を忘れた小さな鳥」も鈴木さんの作曲だ。


鈴木さんは、近い時期に当時の曲を中心としたライブの企画があるとのこと。
京都でライブされる時は、教えて欲しい旨を呟いたら、大きな声で呟いてくれるとの返信。
あの鈴木雄大さんにフォローしていただいて、嬉しいメッセージも聞けて、感謝感激である。

大層と言われるかもしれないが、そんな出来事がとても嬉しいのだ。

いやあ、思いがけない素敵な1日だったなぁ~。

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2011年2月3日木曜日

節分





今日は節分。
立春の前日。
中国では、春節祭で年明けのお祝いをする日。
旧暦の元日に当たる日である。
今年の恵方は南南東。
丙の方角だ。
恵方には、歳徳神(としとくじん)という今年の福徳を司る神様がおられる。
この神様は女性で大層美しい女神様だそうだ。
恵方巻きは今や全国区だが、昭和50年に商魂逞しい関西人が、地方の風習をうまく使って流行らせたものだ。
鬼うち豆で災厄を祓い、福を呼び込む豆まきとセットで節分の行事となっている。

芸能人や関取が、豆まきに借り出される日でもある。
お相撲さんは、豆を撒きに行く前に、襟を正すべきと思うが、どうだろうか。

私は2月生まれで節分を過ぎると1つ歳を重ねる。
今年は50の大台を迎える。
人生でも節分を迎えるように思う。
ただし、立春ではなく立秋だ。
そもそも、節分は季節の分かれ目。
夏から秋に入る節分が立秋。
まだ、立冬とは言いたくないが、秋に入っているには違いない。
秋は収穫の時期。
四十にして惑わず、五十にして天命を知るというが、相変わらず惑いっぱなしだし、何が天命なのかもわからない。
節目に近付き、そんなことを思う。

と、戸惑っていても仕方ない。
取りあえず、嫌なことが多いが、鬼は外、福は内で良い年になって欲しいものだ。