2009年12月28日月曜日

ガメラ





怪獣と言えば?と聞かれると大抵はゴジラと答えるだろう。
確かにゴジラ・GODZILLAはビッグネームだし、海外でも知られる大スターだ。私も子供の頃は夏休みになれば必ずその勇姿を観るために映画館に行ったものだ。
そんなゴジラには及ばないかもしれないが子供達が大好きだった怪獣がいる。
ガメラである。
ガメラは名前のとおり、巨大な亀の怪獣である。
映画に登場したのは1965年。ガメラは北極の氷の中から目覚めた。最初はゴジラと同じように人間の脅威として現れたモンスターだったが、やはりゴジラ同様子供達の味方として凶悪怪獣と戦うヒーローに変わっていった。

私が一番印象に残っているのは、ガメラ対ギャオスだ。
場所は福岡県。ギャオスは人を襲う吸血怪獣で日光に弱いというドラキュラのような怪獣だ。三角の頭に釣り上がった目。蝙蝠のような翼で空を飛び、人々を襲う。口からは超音波の光線を放ち、どんな物もスパッと切り裂いてしまう。そもそも、超音波の光線というのが変だが、それはおおらかに割り切って、自動者が真っ二つに切り裂かれたりして、そのインパクトは凄かった。
その光線でガメラの手がスパッと切られるのを見て、子供達は必死にガメラを応援した。ガメラの手から緑の血が流れる映像は、子供向け映画の割には結構バイオレンスだったように思う。
大人になって思うが、日本人はこんな風に子供の頃から抑圧されてたまったフラストレーションを最後の最後に解き放って得るカタルシスに弱いように育てられていたんではないだろうか。

ユーモラスな形に似合わず、頭と足を甲羅に収めてジェット噴射で回転しながら空を飛ぶ姿は子供達にも人気があった。あの飛行スタイルは、ガメラのトレードマークにもなっている。

大映が倒産後も徳間や角川がガメラシリーズを作り続け、平成になってからも数本の作品が公開されている。
最近では、パチンコ台にもなり、今だに日本人というか、私のようなおじさん達に愛されている怪獣である。

私もたまに♪月月火火木金金♪つよいぞガメラ、つよいぞガメラ、つよいぞガメラ〜なんて口ずさんでしまう。
何故かこの年の瀬にそんなことを思った。


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2009年12月24日木曜日

年の瀬





早いもので今年もあと僅か。年の瀬だ。
前々から不思議に思っていたが、「年の瀬」の「瀬」ってどういう意味だろうか?
瀬戸内海、浅瀬、逢瀬など水辺の言葉もあれば、機会のような表現もある。本来の意味はどこからきているのだろうか。
辞書を見るとこんな漢字で書かれている。

せ 01【瀬】
①川の水が浅く人が歩いて渡れる所。あさせ。⇔淵ふち。「━を渡る」
②川の流れの速い所。はやせ。「━にのまれる」
③海流の流れ。潮流。「潮━」
④置かれている立場。「立つ━がない」
⑤機会。機縁。場合。「逢う━を楽しむ」「浮かぶ━がない」
⑥そのところ。その点。「憂きにも嬉しき━はまじり侍りけり/源氏柏木」

大辞林 第三版

さんずいが付いているから元々は①の浅瀬を表しているのだろうか。
⑥は広辞苑では、「ふし」とも書かれていて、年の瀬は多分こっちの意味合いなんだろうか。
全体のニュアンスから感じるのは、浅瀬のように流れも早く、常にその状態を留めていない状態を表している言葉だろうか。「逢瀬を楽しむ」なんてまさに短い一時で、あっという間の時間のことだ。
そう考えると、年の瀬も年末の慌ただしさを思えば、うまい表現に思える。
ちゃんと調べれば、言葉の由来も分かるだろうが、1つの言葉を色々考えて見るのも楽しいものだ。

毎年、この時期になると何げなく使っているこの「年の瀬」という言葉。日本語は面白いものである。


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2009年12月22日火曜日

お試しブログ

iPodTouchから試しにブログしてみた。
TORAの写真をお試しでアップ。



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2009年11月4日水曜日

償い

昨日のお休みにインターネットで何とはなく さだまさしさんの記事を見ていた。
グレープの時代から心の琴線に触れる素晴らしい曲を紡いで来られた。精霊流し、雨宿り、コスモス、関白宣言、防人の歌、道化師のソネットなどなど、時に哀しく、時に暖かく、心に響く曲ばかりだ。
高校の頃、放送部の人がよほど好きだったのか、昼休みには中島みゆきさんの♪時代とさださんの♪雨宿りばかりが流れていた。
♪雨宿りは、ある雨の日に雨宿りで知り合い、彼が彼女の両親にプロポーズするまでのエピソードを彼女の視点で綴った曲だが、ユーモラスで暖かく、幸せな気持ちになる素敵な曲だ。ライブの音源でしか聞いたことはないが、ライブでなければあの良さは伝わらないだろう。

彼の曲は、楽しい曲も哀しい曲も、ただ楽しいだけ、ただ哀しいだけの曲では終わっていない。行間を読むような感じで言葉で伝えにくいニュアンスを伝えているメッセージ性のある音楽だと思う。
反体制のフォークやロックだけがメッセージ性が強い訳ではなく、♪雨宿りのようなほのぼのした曲にも何が幸せだろうかというメッセージが伝わってくる。

彼の曲の中でも♪償いという曲は、償うということはどういうことだろうかといった難しい問題を歌で投げ掛けている。
この曲は、さださんの知人の方のお話に感動し、作られたそうだ。
知人の方は、昔、ある雨の夜、横断歩道を歩いていた男性に気付かす、男性を轢いてしまった。すぐに病院に運んだが不幸にも男性は亡くなってしまった。病院に駆け付けた男性の奥さんは、大切な人を失った悲しみから、「一生あなたを許さない」と怒りの声を浴びせかけた。彼は泣きながら廊下に額を擦り付け謝り続けるしかなかった。
その日から彼は一生懸命に働き、給料をもらうとすぐに女性に送金をし続けた。
お金で償えることではないと分かりながら、でも何かをしなければと思って謝罪の言葉を添えて送金し続けた。
事故から7年経ったある日、未亡人となった被害者の女性から彼のところに手紙が届いた。その手紙には、こう書かれていた。
あなたの優しい気持ちは良く分かりました。送金はもうやめてください。あなたの手紙を見る度に亡くなった主人を思い出して辛いのです。あなたの気持ちはよく分かるけど、それよりあなたの人生を元に戻してあげてください。
その手紙を受け取った彼は手紙の内容よりも償い切れない人から手紙をもらったことが有難くて涙が止まらなかった。
それでも彼女への送金だけは止めなかったそうだ。未亡人の方は、自立して収入もある人で送金に頼ることはなかったが、彼は償い切れない罪を少しでも償おうと送金し続けたのである。

♪償いには、こういう歌詞がある。

人間って哀しいね だってみんな優しい
それが傷付けあって かばいあって

被害者の未亡人は、彼の優しい心は理解しても許すことは出来ないかも知れない。彼は何をしても決して償い切れないことだと分かっている。
償うということは、こういうことなんだろうかと、歌で語り掛けている。

三軒茶屋駅の構内で当時18歳の少年4人が、当時43歳の男性と些細なことで口論となり、男性に殴る蹴るの暴行を加え、男性は蜘蛛幕下出血で亡くなる事件があった。
2人の少年は傷害致死の罪で訴えられ、判決の結果、求刑通り2〜5年の不定期の懲役に処せられることになった。少年達は反省の言葉を述べるものの被害者にも問題があったことも語っていた。
裁判長は判決の後、正確ではないが、こう付け加えて話されたそうだ。
君達は、さだまさしの償いという歌を聴いたことはあるか。せめて詞を読めば謝罪することの意味が分かるだろう。
裁判で歌の歌詞を取り上げ被告人を諭すことは異例だが、この曲を聴いた裁判長がそういう発言をされたのは理解出来る。

さだまさしさんの曲は、どの曲も心に伝わる何かがある。
毎年、イギリスやオーストラリア、アメリカと海外で暮らす日本人や外国の方に向けたコンサートを精力的に行っている。
これからも素晴らしい曲を作られることを望んでいる。

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(=^・^=)kinop

2009年10月14日水曜日

アイドル

昨日、YouTubeで80年代のアイドルの映像を観て、当時の彼女達の可愛さに驚いてしまった。
何で、そんな映像を観たかというと、資生堂のCM椿を観たことから始まった。滝川クリステルさんがCM出演した話題から過去の椿のCMを観ていた。堀北真希ちゃんや蒼井優ちゃんの映像を観て、鼻の下を伸ばしていた。
更にCMつながりでサントリーの角瓶のCMを観た。
小雪さんが出ていて、石川さゆりさんの♪ウィスキーはお好きでしょが流れる素敵なCMだ。それで、またまた鼻の下が更に伸びてしまった。世の中の男性の多くが小雪さんとこういうバーで飲みたいと思っていると確信する色っぽさだ。それにしてもサントリーのCMのクオリティの高さには感心してしまったしまう。
そこから石川さゆりさんの若い頃が見たくて、検索した。彼女は今や演歌のビッグネームだが、デビュー当時はポップスを歌っていて、アイドル路線の歌手だった。生憎、彼女の若い頃の映像は見つからなかったが、その頃のアイドルの映像が目に入った。百々恵ちゃんに南沙織さんなどなど、彼女たちが、また可愛い。南沙織さんは、今や篠山紀信さんの奥様だが、アイドルの頃の可愛さは凄いのだ。浅黒い顔に大きな瞳。ニコッと微笑んだ時のその可愛さは、たまらない。それで、伸び切った鼻の下が更に伸びてしまった。

次に、いよいよ本題の80年代のアイドルのメドレーを観てしまったのだ。
その映像には、榊原郁恵ちゃん、早見優ちゃん、堀ちえみちゃん、中山美穂さん、菊池桃子さん、荻野目洋子ちゃん、松本伊代ちゃん、松田聖子さん、小泉今日子さんと、錚錚たるアイドルが映っていた。
中でも郁恵ちゃん、早見優ちゃん、堀ちえみちゃんの可愛さは半端じゃなかった。みな、それぞれ魅力的で、個性的で、若さと可愛さに光り輝いていた。

高校の頃、私の学校では、アイドルといえば、榊原郁恵ちゃんかキャンディーズの蘭ちゃんだった。人気を二分していたと言っても過言ではない。友人が、郁恵ちゃんも蘭ちゃんも捨てがたいと真剣に悩んでいたほどだ。私はもちろん郁恵ちゃん派である。
真ん丸な顔に肉付きの良い手足。美女のジャンルではないけど、健康的で明るい笑顔がチャーミングなアイドルだ。キャハハと大きな声で屈託なく笑い、いつも笑顔の天真爛漫な郁恵ちゃんがそばにいれば楽しいだろうなあと思っていた。身近にいそうでいない、そんなタイプなのだ。
年を重ね、ピーターパンの舞台で活躍し、今もバラエティ番組でも活躍されている。今もあの素敵な笑顔がテレビで観れて、嬉しい限りだ。

今もアイドルと言われる人達はたくさんおられるが、時代も違うのか徹底してアイドルを意識するのではなく、身近に感じる魅力にウエイトが置かれていて、全く異質なものである。上戸彩ちゃんや堀北真希ちゃんも可愛くて大好きだが、昔のアイドルとはまた違うものだ。どっちが良いという訳ではないが、違うなあと思っている。

でも、もしも、あの頃の優ちゃんやちえみちゃんが、アイドル色全開で登場したら、凄い人気だろうなあと思ってしまう。
あー、良いなあ。


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(=^・^=)kinop

2009年10月1日木曜日

2億+1億=3億

先に1台で1億9900万円する車の話をしたが、更にその上を行くお話を見つけた。
話の車は、ブガッティ・ベイロン16.4。カーボンとアルミのボディにマグネシュウムのホイール。V8エンジンが2つのW16にターボチャージャーが4基。最大出力が1001馬力で最高速度が407km/hのモンスターマシーン。
そのベイロンをチューンする会社がある。
マンソリーというチューンナップメーカーである。
改造費は、1億円。
『Mansory Bugatti Veyron Linea Vincero』という名前だ。

ヴィンチェロはエアロダイナミクスのチューン、LEDライトへの変更、ホイール変更、ボディのカーボンファイバー素材への変更がなされる。元の状態でも、有り得ない超高級仕様を更に改造するというのだ。マグネシュウムのホイールをどんなホイールに替えるというのだろうか。ボディもカーボン素材が使われているから、更に徹底するということだ。

驚くチューンナップはこれだけに止どまらない。
16気筒4ターボチャージャー、1001馬力をさらに1109馬力まで上げるらしい。

さすがに受注は3台までの見込みらしいが、3億円もする車を誰が買うのだろうか。
気になるのは改造で取り外したパーツだ。それだけでも、我々庶民ならば良い車が買えそうな気がする。

うーん、凄い。

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(=^・^=)kinop

あの頃

今日は晴れ。雨が止んだ。
やっぱり晴れが良い。

メジャーといえばメジャーだが、石原裕次郎や美空ひばりのようなビッグスターではないが、当時は人気者だった人というのは、テレビに登場する機会もなく、話題に上らないこともあり、余計に懐かしく思う。
既に他界された人もおられるが、私が懐かしく思う方達はこんな人達だ。

まずは、随分と前だがブログに書いたことがあるキャロライン洋子さんだ。くりくりとしたブラウンの髪にベティちゃんのような愛嬌のある女の子だった。お兄さんと一緒に子供番組やCMに登場した。
彼女はかなり頭が良く、アメリカに戻ってから、どこかの大学を素晴らしい成績で卒業し、ヒューレット・パッカードに入社してAIの研究をされたと聞く。現在どうされているかは知らないが、凄いものだ。

昔のテレビ司会者で黒ぶちメガネをかけた外国人男性をご存じないだろうか。艶のある良い声で軽快な司会をされたロイ・ジェームスさんだ。彼は、父親がトルコ人の白系ロシア人の方だったと思うが、随分前にまだ50歳台という若さで亡くなられた。

雷門ケン坊という名前も懐かしい。サスケというテレビ漫画でサスケの吹き替えをやっていた。ブースカにも出演されていた。今はどうされているだろうか。

土曜日の夜7時、明るいナショナル♪の歌が聞こえてくると、家族で楽しみにしている『ズバリ!当てましょう』が始まる。司会は泉大助さん。良い声で番組を進行し、ナショナル製品の価格を当てると商品がもらえるといった番組だった。
泉さんは、ナショナルの顔といった感じだった。
『底抜け脱線ゲーム』の金原さんとともに70年代に人気のあった司会者だ。


こういう人達を思い出すと当時の生活も思い出す。
ローラーで絞る一層式洗濯機、家具調テレビ、ブリキの羽の扇風機、三菱提供のプロレスのマットに登場した風神という掃除機。電子レンジもなかったし、クーラーなんて物もなかった。保温できるジャーが出て来たのもかなり後だった。
お母さんは毎日市場に買い物に行き、一緒に付いて行った。
電池で動くオモチャなんて超高級で、おじいさんに買ってもらうか、クリスマスか誕生日のプレゼントだった。

今はなんでも安くなり、手が届く値段になったせいで、有り難みも薄くなった。
『ズバリ!当てましょう』を観て、羨ましかった時代は持っていなかった分だけ、夢があって幸せだったように思う。

昔の人気者を思い出し、そんなことを感じた。

∧-∧
(=^・^=)kinop

2009年9月30日水曜日

オールスター

雨が降っている。
雨が降る毎に温度も下がり、秋が深まるのだろうか。
それにしても、この秋は暖かい。まだ、半袖の人も少なからずいる。
秋らしい秋は短いまま、冬になりそうだ。

映画の楽しみといえば、アクションを観てスカッとしたり、コメディで大笑いしたり、ラブストーリーでポワ〜となったり、映画によって様々な楽しみ方があるが、大好きなスターが大勢登場するオールスター作品もまた楽しい物だ。
あの人もこの人も出ているというのは、映画の筋云々ももちろん大事だが、スターを観ているだけでも嬉しくなるものだ。
頭に浮かぶオールスター作品というとこんな作品がある。

古い作品だが、オールスター物というとやっぱり『史上最大の作戦』だろう。
この映画は第二次世界大戦で連合軍がフランスのノルマンディに上陸した所謂ディーデイの戦いを描いた戦争映画だ。ロバート・ミッチャムやジョン・ウエイン、ヘンリー・フォンダ、エディ・アルバート、リチャード・バートン、クルト・ユルゲンスなどビックスターが総登場した。当時まだ無名だったショーン・コネリーなども登場しており、うっかりするとお気に入りのスターを見逃してしまうほどだ。当時40億円を掛けて作られており、金額的にも史上最大の映画だった。この映画の監督は複数いるが、筆頭は『素晴らしきヒコーキ野郎』のケン・アナキンだ。この手の映画は、普通の映画以上にリーダーシップが必要なんだろう。ジョン・ウエインやミッチャムなど錚錚たるスターを仕切れるなんて、誰でも出来ない能力だ。
因みに現題は『The Longest Day』と素っ気なかったので、水野晴朗さんが『史上最大の作戦』という邦題を付けられ大ヒットした。


この映画から大分と後年だが、やはり第二次世界大戦で決行された大作戦であるマーケット・ガーデン作戦を描いた『遠すぎた橋』がオールスターで映画化された。オランダやドイツに空挺部隊が降下し5つの橋を占領し、ドイツ軍の補給路を絶つ作戦だったが、苦戦を強いられ長期化した。後年、大きな失敗だったと言われている作戦である。
こちらも出演者は超豪華だ。ロバート・レッドフォード、ジーン・ハックマン、ローレンス・オリヴィエ、エリオット・グールド、マイケル・ケイン、ショーン・コネリー、アンソニー・ホプキンスなどなど。それに加え、ドイツ軍役ではドイツの将校役の定番であるマクシミリアン・シェルやハーディー・クリューガーが出演している。
監督はリチャード・アッテンボローと凄い布陣で大金を掛けて作られたが、やはり失敗した作戦を映画だったからか、映画も期待以上のヒットには至らなかった。


オールスターと言えば、忘れてならないのはジョン・スタージェスだ。『荒野の七人』や『大脱走』を撮った監督だ。『荒野の七人』では、ユル・ブリンナー、スティーブ・マックイーン、ロバート・ボーン、ジェームズ・コバーン、チャールズ・ブロンソン、イーライ・ウオラックなどのスターを使い、黒澤明の『七人の侍』を見事に娯楽作品として西部劇にリメイクした。更に『大脱走』では、リチャード・アッテンボロー、スティーブ・マックイーン、ジェームズ・ガーナー、チャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーン、ドナルド・プレザンス、デビッド・マッカラムなど、やはり豪華なスターで第二次世界大戦で実際にあったドイツの捕虜収容所からの大脱走を描き、大ヒットした。多くの登場人物を際立たせ、個々のエピソードも生かしながら幹のストーリーを進めて行く技術は凄いの一言である。


パニック映画もオールスター物が多い。映画が華やかなるし、パニックのスケールも大きく感じる。『大空港』から始まる『エアポート』シリーズなどが良い例だろう。主役のディーン・マーチンやチャールトン・ヘストンが活躍し、周りを豪華なスターが固めていた。シリーズでは、機長役にジャック・レモンやアラン・ドロンも主演しており、作品の出来はさておいても華やかな作品である。
忘れてならないのは、シリーズを通して、ジョージ・ケネディが出演していることだ。シリーズとはいいながら、ストーリーは全く別物で、ジョージ・ケネディの役どころも別だけど、エアポート名物となっている。


パニック物では、アーウィン・アレンの制作した作品も華やかだ。
『ポセイドン・アドベンチャー』では、ジーン・ハックマンやアーネスト・ボーグナイン、レッド・バトンズ、シェリー・ウィンタース、ロディ・マクドウォールなどなどが出演したし、『タワーリング・インフェルノ』では、ビックスターのマックイーンとポール・ニューマンが共演している。『タワーリング・インフェルノ』は、脇役も豪華で、ウィリアム・ホールデン、ロバート・ボーン、リチャード・チェンバレン、フェイ・ダナウェイ、ロバート・ワグナー、ジェニファー・ジョーンズにフレッド・アステアまでが出演している。


という訳で、オールスター作品は、華やかで楽しい作品が多いが、吹き替え版も、また楽しい。
マニアックな楽しみ方ではあるが、吹き替えの声優もやはりオールスターになるからだ。

という訳でオールスター作品は楽しい物である。


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(=^・^=)kinop

2009年9月29日火曜日

ハウマッチ?

写真の車、いったいいくらぐらいの御値段か分かるだろうか?

フランスのブガッティが製造・販売しているスーパーカーである。
エンジンはW16という形式であまり聞き馴染みがないと思うが、V8が2個並んでいるからW16ということである。
16気筒にターボチャージャーが4個付き、総排気量は8リッター。最大出力は1001馬力。最高速度は時速407kmで、時速100kmに達するまで僅か2.5秒というから驚きである。
ボディにはカーボンやアルミを使い、ホイールはマグネシュウム、室内もレザーで見るからに超高級。エンジンを起動し、高速走行する時は通常時から2段階で車高を下げることができ、車体後部からリアウィングを出して角度や高さも調節可能だ。
さて、贅沢の限りを尽くしたモンスターマシーンの気になる御値段は・・・


なんと、税込で1億9900万円!?


高いというか、想像の範疇を超えている。メルセデスのマクラーレンSLRが1台で5000万円。それを聞いただけでも驚くのに、そのSLRが4台も買える御値段というのだから、言葉も出ない。
では、お金を持っていたら誰でも売ってくれるのかというとそうではない。ブガッティが、ブランド・イメージを守るため、審査をして投機目的などいかがわしい人物には売らないそうだ。
めでたく契約が成立すると、まずは5000万円を支払い、ファーストクラスでフランスのブガッティの工場に招待され、サイズの調整やオプションの決定を行い、ブガッティ敷地内のテストコースで試乗を行う。
車が出来上がれば残金を支払い、納車の運びとなる。
少なくとも月刊自家用車の値引き交渉もなければ、納車時ガソリン満タンなんて小さな話もないだろう。

因みに、ベイロンだが、タンクには100リッターの燃料が入るが、時速405km走行時の燃費はリッターあたり800mなので、仮にそのスピードを維持したら12分でタンクが空っぽになる計算だ。
何だか分からないが、私の常識には全く当てはまらない別次元の車である。

買えるはずはないが、一度は乗ってみたい物だ。
ブガッティのサイトでコンフィギュレーターのメニューを選べば、車体の色やインテリアの色を指定し、好みのベイロンをデザインしてPDF化してくれる。
後は、オーダーシートをプリントして、最寄りのディーラーを確かめ、連絡すれば良い。
購入を検討している人は、一度オーダーしてみれば如何だろうか。


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(=^・^=)kinop

2009年9月24日木曜日

責任者出て来い!

「わがまま勝手なことばかり申し上げまして、お叱りの言葉もございましょうが、こんなおもろない漫才聞きとうないわ〜い!というお叱りの言葉もなくご静聴賜りまして誠にありがとうございました。これひたすら、わたくし一人の人徳の致すところでございます。笑いこそ健康の栄養素!凝りと疲労の回復剤。笑え。笑え。笑う門には福来る。皆様のご健康とご発展とを心よりお祈り申し上げ、ボヤキ講座予定終了でございます。」

このフレーズ、懐かしいとお思いの人も少なからずいらっしゃると思う。
この後、「何ぐちゃぐちゃ言うてんねん。この泥亀!」「おかあちゃん、ごめんちゃい。」と続く。
ぼやき漫才の人生幸朗・生恵幸子の締めのくだりである。
牛乳瓶の底のような眼鏡をかけて、当時流行りの歌謡曲の歌詞に文句を付け、最後に「なめてたら承知せえへんぞ!責任者出て来い!」と怒鳴っていた。
桜田淳子の歌で、♪去年のトマトは硬くてまだ青かったは〜♪今年のトマトは真っ赤になった〜、という歌詞に、「トマトは赤なるのに1年も掛かるんか!1年も経ったら腐ってしもとるは!馬鹿もん!責任者出て来い!」という漢字でぼやいていた。
語り口調が素晴らしく。血圧を上げて、少し噛みそうになりながら、一気にぼやく。良いタイミングで、相方の生恵幸子さんが、「あんたいい加減にしときや!しまいに怒ってきはんで!このよだれくり!」と突っ込む。
生恵幸子さんは、金切り声で、大阪独特の言葉で突っ込むのだが、大変お綺麗な方で品もあったので、ちっとも嫌な感じになることはなく、幸郎さんが乗りやすいように支えていたように思う。
年配の漫才師の方が大勢いらっしゃったが、中でもこの御二方がずば抜けて面白かった。ぼやきなんだけど悪口ではなく、親戚の面白い祖父さんがテレビ見ながら文句を言っているような感覚だった。

因みに何故急にこの御二方の話をしたかと言うと、昨日暇つぶしにYouTubeを観ていたら偶然この二人の漫才を目にしたからだ。見入ってしまい、パソコンの前で大爆笑してしまった。久々だったからではなく、本当に面白かったからだ。
いくら名人と呼ばれた人でも、年代が違うと感覚も違い、ちっとも面白くないことがあり、相対的に見ると同世代か少し若手の漫才が面白く感ずる。
しかし、人生幸郎さんの話芸は別格で、上手く表現出来ないがぼやきの内容より、その語り方が魅力溢れているのだ。だから、年代にとらわれず笑えるのかも知れない。
それに、お二人も芸にも品があり、観ていて嫌な気分にはならないのも大事なことだと思う。思えば、島田洋之助・今喜多代、夢いとし・君こいしなどなど、この時代の方々は、皆さん品があったように思う。
因みに島田洋之助・今喜多代のお二人は、島田紳助、さん、島田洋七さん、いくよ・くるよさんの師匠である。

人生幸郎さんは、明治生まれの漫才師で、1982年に74歳で亡くなられた。生恵幸子さんは、幸郎さんが亡くなった後は、幸郎さんを偲ぶ番組には出演されていたが、一線からは退かれ、2007年に83歳で亡くなられた。

今、もう一度観たい漫才というとやっぱり人生幸郎・生恵幸子のぼやき漫才かな。あの「責任者出て来い!」をもう一度聞きたいなあ。

2009年9月22日火曜日

マット・デイモンって面白い

この週末にマットデイモン主演の『ボーン・アルティメイタム』を観た。お馴染み大ヒット作ジェイソン・ボーン シリーズの三作目である。今まで三作目はどうなのかと勝手に思い込んでいるところもあり、見なかったのだが、なんとなくTSUTAYAで目に留まり観たくなった。
結果はというと、大変スピーディな展開でアクション満載、申し分ない出来上がりだった。主役のマット・デイモンの精悍さが今回も画面に溢れていた。いやはや、凄いの一言である。
このマット・デイモンだが、頭も良くってハーバード大学の出身である。映画の世界に入って、幼なじみであり親友のベン・アフレックと『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』の脚本を書いて、アカデミー賞ももらった才能のある俳優さんだ。
『レインメーカー』など好きな作品も多いが、なんと言っても彼の雰囲気が大好きだ。そこらの気の良いおにいちゃん風なんだけど、やることは超一流というのが素晴らしい。
という訳で、ネットで彼のことを色々調べていたら面白いものを見つけたので紹介したい。

アメリカのトーク・ライブ番組で『Jimmy Kimmel Live!』という番組があって、ホストのジミー・キンメルはマット・デイモンの友達だそうだ。そんなこともり、キンメルは番組でよくマット・デイモンのことをからかっているらしく、いつも番組の最後に「マット・デイモンには悪いが時間が来てしまった。」とお決まりのジョークを言ったりしているそうだ。ある日、初めてマット・デイモンがゲスト出演したのだが、キンメルが彼の経歴を事細かに説明したものだから、時間がなくなって肝心のトークが出来ずにマット・デイモンが怒り来るってスタジオを後にしたそうだ。これもマット・デイモンも洒落っ気で、本当は楽しんでいたそうだ。
そんなやり取りが合って、キンメルの恋人であるサラ・シルバーマンがゲスト出演したとき、シルバーマンが告白することがあるといってこのビデオクリップを見せた。これが、笑えるのだ。
そのビデオがこれだ。




もちろん、マット・デイモンの悪ふざけなんだけど、かなり笑えるビデオクリップだ。
そこで、この仕返しにキンメルが作ったビデオクリップが更に笑えるのだ




このビデオ、ぼけっと観ていると損をする。ベン・アフレック以外にハリソン・フォード、ブラッド・ピッド、キャメロン・ディアスにロビン・ウイリアムスと豪華な面々がのりのりで登場する。
ハリソン・フォードがちょこっと出るシーンなんかお腹抱えて笑ってしまった。

良いなあ、マット・デイモン。


2009年9月14日月曜日

B級?

秋晴れ。
風も心地良い朝だ。
台風が来るらしく、これからは下り坂だそうだ。

映画には、アカデミーやカンヌに登場するような作品もあれば、低予算のインディーズ系の作品もあるし、大ヒット映画の二番煎じの作品もある。
大作と呼ばれながらとんでもない作品もあるし、低予算だから悪いという訳でもない。もちろん資金が豊富であることに超したことはないが、結局は中味の問題である。
低予算で無名の監督、無名の俳優を使い、分かりやすい娯楽作品を作るとB級作品と呼ばれることが多い。
ビデオショップに行くと流行の映画をもじったタイトルに似たジャケットの作品を目にする。『ジュラシック・パーク』がヒットした時なんかは、ジュラシックなんちゃらというタイトルの作品がたくさん並んだし、『エイリアン』や『バイオハザード』なんかも類似タイトルがずらりと並んでいた。安易な発想だが、それなりに需要があるのだろう。だけれども、大概は期待を裏切る出来栄えだ。
タイトルから見ても、これは絶対にB級だと分かる作品もある。『死霊の盆踊り』、『ドラゴン対アマゾネス』、『クイーン・コング』なんて、良い例だ。死霊と盆踊りなんて発想自体、呆れるを通り越して感心してしまう。『クイーン・コング』はギリシャ映画だったと思うが、内容もかなりひどかったが、声優界の超ベテランの広川太一朗さんと小原乃梨子さんが吹き替えれば面白くなるかと実験的な要素を謳い文句に、吹き替え版だけを公開したことがある。結果は、さすがのお二人でもどうにもならなかった。
そんなB級作品と呼ばれる作品の中にもキラリと光る作品はあり、その後に大きな作品を手掛けたり、大スターが生まれることもある。
有名なのは、『トレマーズ』という地中に潜むモンスターと人間が戦う娯楽作品だ。この映画の主人公が、どんな役でもこなすケビン・ベーコンだ。監督は、『愛が微笑む時』や『シティ・スリッカーズ』のロン・アンダーウッド。
まず、話のテンポが良く、地中に潜むモンスターと人間がどう戦うかという単純なテーマなので、ストーリーが非常に分かりやすい。
個々のエピソードも良く考えて作られていて、地中のモンスターが振動を感じて襲って来るという設定が効いている。
登場人物も、皆個性的で良い味を出している。中でも兵器マニアの夫婦が自宅の地下室からあれやこれやと武器を持ち出し、ランボー張りの活躍をするのが楽しい。
そもそも、地中のモンスターというのが、B級ならではのアイディアだ。地表に顔を出すのはわずかだから、予算も抑えられるし、逆に姿が見えないスリルが味わえる。
笑えるシーンも多く、それなりにスリルもあって、これぞ娯楽作品という素晴らしい作品だ。
変な言い方だが、B級中のB級と呼べる作品だ。
同じ様に徹底した娯楽作品には『グリッター』という作品もあるが、やはり分かりやすく、テンポもよく、キャラクターが立っていて、面白い。金ばっかり掛けて、作者の独りよがりの作品なんかと比べると、こういう作品の方が断然面白い。観ている人は、極々普通の人だということを忘れ、分からない奴が悪いというのは、作者の傲慢である。如何に観客を楽しませるかに軸足を置くことを一番に考えているのが、このロン・アンダーウッド監督だ。
セリーズ・シャロン主演のキングコングのベースとなる『猿人ジョー』を題材とした『マイティ・ジョー』、4人の幽霊の思い残したことをロバート・ダウニーJr.が叶えていくハートフル・コメディ『愛が微笑む時』、都会に疲れた男達が荒野を旅する『シティ・スリッカーズ』など、どの作品も娯楽に徹底し、必ず笑いもあり、ハートフルな映画なら必ず涙するような場面も用意している。何よりも好きなのは、皆ハッピーエンドなのだ。
作品数が少ないのが、唯一残念なことである。

B級だと侮るなかれ。
中には彼のようなダイヤモンドの原石もいるのだから。


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(=^・^=)kinop

2009年9月8日火曜日

リオッタとペシ

今朝も日差しは強いが、空気はひんやりしている。
半袖のシャツも後もう少しかな。

映画スターには、レッドフォードやマックイーンのようなかっこいいヒーローもいれば、脇役とは言わないが強烈なキャラクターが持ち味の役者もいるし、毎回カメレオンのように役柄に合わせてキャラクターを変える役者もいる。
強烈なキャラクターといえば、どんな役者さんがいるだろうか。

レイ・リオッタなんかは、そういう役者の名優だろう。濃い顔であるが、どちらかといえば男前の部類である。ところが、彼の目はどこか虚ろで違う世界にいる。自分の内にあるルール以外は存在しない偏執的な人間を演じさせたらピカイチである。
『不法侵入』の警官や『乱気流タービュランス』の連続殺人犯なんて、その典型だろう。そういう人物を演じていると知って観ていても、ゾッとしてしまう。

レイ・リオッタと『グッド・フェローズ』で共演したジョー・ペシも強烈だ。『グッド・フェローズ』では、異常にテンションが高くかっとなると銃を撃つ。食事をしてようが、飲んでいようが、お構いなしだ。しかし、仲間や母親には優しく二面性があり、常に危うい空気を出している。結局は、その性格が災いして命を落とすことになるが、ペシにしか出来ない狂気は圧巻である。
ペシが凄いのは、狂気を演じるだけでなく、コメディも演じれるところだ。『リーサル・ウエポン』シリーズのレオ役が有名だが、お勧めはマリサ・トメイと共演した『いとこのビニー』である。この映画では、ラルフ・マッチオが田舎町で強盗殺人犯に間違われ、弁護士になったと聞いていたいとこのビニーに助けを求めるのだが、黒い皮ジャンにブーツを履き、マリサ・トメイ演じるイケイケねえちゃんの彼女を連れて現われる。見た目は街のあんちゃん、ねえちゃん。そんな二人が事件を解決していくのが楽しい法廷劇の秀作だ。
単なるドタバタでない証拠に、マリサ・トメイは素晴らしい演技でアカデミー賞の助演女優賞を受賞した。
コメディのペシは、いたって真面目に行動する人物を演じていて、無暗におどけたりすることもなく常に真剣だ。それが周りからずれているなんて気にしない。だから、そのギャップが観ていておかしいのだ。
笑わない目。それは狂気を演じてもコメディに出演しても変わらない。

まだまだ、こういう役者はたくさんいる。『ミシシッピー・バーニング』でFBI捜査官を演じたウィレム・デフォー、『コン・エアー』や『スパイ・キッズ』など多くの映画に登場したダニオ・デルトロなどなど。彼らを個性的な役者と言ってしまうのは簡単だが、それぞれの持ち味は全く違うし、彼らにしか出せない魅力も大きい。

今夜は『いとこのビニー』でも観ようかな。

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(=^・^=)kinop

2009年9月7日月曜日

ナチュラル

今朝も秋晴れ。
というか、少し暑い。
夏が悪足掻きしているみたいだ。

『明日に向かって撃て』や『スティング』のロバート・レッドフォードが70歳を超えたと聞くと、自分も歳をとったと実感する。
ポール・ニューマンやスティーブ・マックイーンもそうだが、彼もまた悪役が出来ない俳優だ。
レッドフォードはどこをどうしても、かっこいいからだ。ファンの誰もが彼の汚れ役や悪役なんか観たくもないと思っている。
永遠にブロンドヘアーにブルーの瞳のレッドフォードが颯爽と活躍する姿を観たいのだ。

かつて、マックイーンはスピルバーグに『未知との遭遇』の出演を懇願されたそうだ。しかし、マックイーンは脚本に涙するシーンがあったため、「良い映画だが、涙する役は演じられない」と断ったそうだ。
ブラッド・ピットは、二枚目の好青年のイメージが定着するのを嫌い、テリー・ギリアム監督の『12モンキーズ』では精神を病んだ異常者役に挑んだ。だが、ファンが望むのは、やはりかっこいいブラピだろう。
ハリソン・フォードも『ホワット・ライズ・ビニーズ』で珍しく悪役を演じた、幾ら悪いことをしても悪人には見えないまま、映画は終わってしまった。

役者には様々なタイプがいて、彼らはヒーローでなければならない役者だろう。
彼らが望む望まないに関係なく、ファンはそう思っている。

そういう意味で『ナチュラル』はやり過ぎと言ってもいいほど、バリー・レビンソン監督が、レッドフォードが如何にかっこいいかを主題に作った映画だ。

レッドフォード演じる主人公ロイ・ハブスは、メジャーリーガーの試験を受けるため、愛する女性グレン・クローズに成功を誓い旅に出る。しかし、精神を病んだ女性に自殺の道連れとして銃で撃たれ、メジャーリーガーに成らぬまま16年の歳月が流れた。
弱小球団ニューヨーク・ナイツにスカウトされた時は40歳間近、監督もお荷物と決め付け、バッティング練習もさせない有様だった。
しかし、ハブスのメジャーリーガーとして活躍する熱い思いは消えることなく彼の中で燃え続けていた。
そんなある日、主力選手の不甲斐なさに腹を立てた監督が、ハブスにバッティング練習を命じた。誰にも期待されることなくバッターボックスに立つハブス。
しかし、ピッチャーが投げる球を軽々と柵越え。それも何発も続け、彼の実力を知らなかった監督を驚かせた。
4番の選手が外野フェンスに激突死したことも重なり、遂にハブスはメジャーリーグの4番として活躍する。
ハブスの活躍に刺激され、戦意喪失ぎみだった選手達も活躍し、快進撃が始まった。
しかし、監督がオーナーを兼ねているチームは優勝しなければ、今シーズン限りで大株主の判事に乗っとられる運命にあった。
優勝まであと一勝と迫った時、判事の指図でハブスが付き合っていた女性キム・ベイシンガーに薬が入った食べ物を飲まされ入院してしまった。更に判事はハブスに大金を渡し、試合に出場しなければ、過去の事件を公表すると脅しをかけた。
判事の工作で、ハブスは、また掴みかけた夢が手からすり抜けていくのかと落胆していた。
そんな時、故郷に残し球場で再開したグレン・クローズが現われ、ハブスに憬れる多くの少年達がいることや、ハブスが素晴らしい選手であることを告げる。
その言葉に消えかけた心の内にある野球への思いは燃えだし、今シーズン限りでの引退を決意して、病も癒えないまま最終戦に挑む。そうして迎えた最終戦。いよいよ彼の野球人生をかけたゲームが開始した。

と、浜村純じゃないが、これ以上は書くのをやめておこう。
とにかく、伝説と呼ばれる選手には、こういう逸話がなければならないというツボの全てを押さえた映画だ。

◆伝説のバット Wonder Boy
野球を愛し、息子に夢を持たせたハブスの父親が亡くなった時、庭にあった木に雷が落ちる。ハブスはその木からバットを削り出し、Wonder Boyという名と雷のしるしを焼き付ける。やがて、メジャーリーガーとなったハブスが、Wonder Boyを握りバッターボックスに立った時、空には雷鳴が響き、ボールを打ち潰す打球を放った。
それからハブスの活躍にあやかりたいチームメートは右袖に雷のしるしを縫い付け、いつの間にかチームのマークになってしまう。

クライマックスにもWonder Boyに絡んだエピソードが織り込まれていて、全編を通してヒーローはこういうものだということを描いている。
ある意味、臭いと思うほど徹底した演出だ。

色々考えずに感動したい人には打って付けの映画であることは間違いない。


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(=^・^=)kinop

2009年9月1日火曜日

なぜDVDにならない?

暑い日もあるが、朝夕は涼しくなり、秋の空が広がるようになってきた。
今日も空には雲がほとんどない快晴だ。

私が映画にのめり込んだのは、中学生の頃である。
親父が連れて行ってくれた『ポセイドン・アドベンチャー』という海洋スペクタル作品を観たことがきっかけである。
それまでも、テレビで映画は観ていたし、小学生の頃は、ゴジラや何やと映画館に行ったこともあった。
だが、映画館の大きなスクリーンで、迫力ある大音響で本格的なスペクタルは観たことがなかったから、『ポセイドン・アドベンチャー』を観たときの衝撃は、すごく大きかった。
大津波に飲み込まれ転覆するポセイドン号。大爆発とともに船が回転し、船底が海上に姿を見せる。大広間では、新年を祝う人達が転げ落ちる。
それまで観た映画とはスケールも迫力も違い、本当に驚いたし、映画の魅力を感じた。
それ以来、映画は大好きだ。

その頃は、ビデオなんて物はなかったから、テレビで観る映画も、その時に観なければ次はいつ観れるかは分からなかった。
特に小品ながら良い映画は、再放送される可能性も低くて、大人になってもまだ観れていない作品も多い。
そういう作品はたくさんあったが、特にお勧めの映画を紹介したい。
まあ、紹介されても観る術がないから、困ったものだが、タイトルだけでも覚えておいてほしい。

・パリのめぐり逢い
クロード・ルルーシュ監督とフランス・レイ音楽の大人のラブ・ストーリーだ。
出演は、イブ・モンタン、アニー・ジラルド、キャンディス・バーゲン。
セリフのないシーンで見せるモンタン、ジラルド、バーゲンの表情が素晴らしく、フランシス・レイの音楽とあいまって何とも言えないかっこよさが良い。
・さらば夏の日
『個人教授』のルノー・ベルレー主演の青春映画だ。
青年医師のベルレーが、彼女と弟と地中海を旅し、父との和解、魅力的な女性との浮気など様々な経験をし、彼女と別れ夏の日が過ぎ去っていく様子を描いた作品だ。
言葉で説明出来ない映画の雰囲気や味わいがある。この映画も音楽はフランシス・レイだ。
・流れ者
この映画もクロード・ルルーシュとフランシス・レイのコンビによる作品だ。
ただし、この作品はラブ・ストーリーではなくサスペンスである。
主演は『男と女』のジャン=ルイ・トランティニアン。偽装誘拐で大金を得ようと、仲間達と計画を実行するのだが、いろんな問題が起こりハラハラドキドキ。
テンポもよく、どんでん返しもあり、楽しい映画だった。
何よりお気に入りのトランティニアンが主演というのが嬉しい。
・テキサスの五人の中間
ヘンリー・フォンダ、ジョアン・ウッドワード、ジェースン・ロバーズなどが出演した一風変わった西部劇である。
銃の撃ち合いもなければ、酒場での喧嘩もない。年に一度のポーカーに成り行きで大金を賭けたフォンダが倒れて、妻のウッドワードが代わりに勝負するのだが...
この映画はストーリーを説明したら楽しめないから、ここまでで止めておくが、観たあとには呆気にとられるはずだ。
ジョアン・ウッドワードがすごく美しく、彼女を観るだけでも値打ちがある。因みにウッドワードはポール・ニューマンの奥さんである。

携帯だとこれが限界。
まだまだ紹介したい作品があるので、WEBの方で紹介しようと思う。

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(=^・^=)kinop

2009年8月24日月曜日

ガンマン

最近、朝が涼しくなってきた。
夏も終わりだなあ。


もうすぐしたら50歳の大台。まだ1年以上あるが、すぐそこまで来ている。
アラフォーならぬアラウンド・フィフティである。

電車に乗ると同世代と思われるおじさん達がたくさんいる。
おじさん達のスタイルでよく見掛けるのが、腰に着けたグッズの数々だ。
定番は携帯電話を収めるホルスターだ。大抵は右利きの人が多いので、右側に着けられている。
ガンマンの如く、掛かってきた電話を颯爽と取るわけだが、ガンマンと違いこのホルスターにはマジックテープが着いているから、「ジリッ」と音がしてから、取り外すので、早撃ちガンマンのようにはいかない。

もうひとつ、最近よく見掛けるのは万歩計だ。
最近の万歩計は、高機能でしっかり歩いた歩数だとか、消費カロリーや最近の平均歩数を表示でき、USBで繋げばパソコンでも管理が出来る。
最近の健康指向のためか、私の会社では、希望者に万歩計を配ってランキング表示している。
この万歩計が左腰にぶら下がる。正確に言うと、ベルトにクリップどめされて落ちないように紐をベルトかベルトホルダーに結んでいる。

いわゆる、二丁拳銃のガンマン・スタイルである。
休日になると、これにウエスト・ポーチが加わる。


思えば、子供の頃、オモチャの拳銃や刀を腰にぶら下げて、ヒーローの真似をしたものだ。同じ様な年代の人は、皆さん覚えがあると思う。

考えると仮面ライダーも腰のベルトがポイントだったし、チャンピオン・ベルトも腰に輝く。
男らしさは腰にあるのかも知れない。
何のこっちゃ。

今日も中年ガンマン達は、家族のため、闘いの戦場に向かう。


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(=^・^=)kinop

2009年8月19日水曜日

フォロー・ミー

少し前にBSで放送していた『フォロー・ミー』という映画を録画していたのを思い出し、観賞した。
この映画は若い頃に観て以来大好きな作品だが、ビデオ化もされず、DVDにもならなかった。
一言で言うと、とてもチャーミングな作品である。

この作品は、1972年に公開されたイギリスの作品である。
監督は、『第三の男』で知られる名匠キャロル・リード。脚本は、『アマデウス』のピーター・シェーファー。音楽は007シリーズでお馴染みのジョン・バリー。
主演は、『ジョンとメリー』や『ローズマリーの赤ちゃん』、『カイロの紫のバラ』のミア・ファーロー。ミア・ファーロー演じる主人公を尾行する変な探偵にはイスラエルの俳優トポルが演じた。トポルは『屋根の上のバイオリン弾き』でも知られる俳優だ。

世の中に純愛物語は星の数ほど出回っているが、この映画ほどピュアで心温まる映画はないと思う。
不治の病で主人公が亡くなるような悲恋物でもなければ、ドラマチックな巡り逢いを描いているわけでもない。
お互いに興味を持ち、楽しい恋愛期間を経て結婚した二人が、結婚したことでお互いを見失い、もう一度昔のような心の触れ合いを取り戻したいと願うお話だ。
それだけだと、何だか良さが分からないと思うが、映画全体の作り方がゆったりしていて、観ていると自分が微笑んでいるのに気付くはずだ。
上手く言えないが、そんな優しい気持ちになれる映画なのだ。

時代は1970年代前半。若者は新しい世界を求めて放浪するヒッピーが多くいた頃。ミア・ファーロー演じる主人公ベリンダもそんな自由な女性。インドを旅したり、友人の料理店を手伝ったり、自分のペースで生きていた。
公認会計士のチャールズは裕福な家庭で育った上流階級の紳士。
ベリンダは、チャールズの博識でウィットに富んだ会話や彼の思慮深い人柄を好きになり、チャールズもベリンダの自由でピュアな人間性と可愛い笑顔が好きになり、育った環境は違うがデートを重ね恋愛の末に結ばれる。
しかし、結婚生活を始めたら、以前はあんなに楽しかったのに、何をしてもパートナーの存在を感じ幸せだったのに、何故かチャールズの生活に馴染めない孤独感が顔を覗かせ出す。結婚したらどうして変わってしまうのか。好きなのに通じ合えなくなった男女。誰にでも起こるかも知れないお話だ。

映画では、心が触れ合うというのはこういうことじゃないかな、という感じで不思議な探偵クリストフォールを通して、そっと語りかけてくれる。
白いコートに白い帽子。浅黒い顔に口髭をはやし、人懐っこい顔をしたギリシャ人の探偵。ポケットにはいつもマカロンが入っていて、彼が持ち歩く白いカバンの中にも食べ物がいっぱい。探偵には似つかわしくない風貌。
彼は、チャールズの依頼でベリンダの素行調査を頼まれた探偵が大怪我をしたため雇われたピンチヒッターの探偵だった。
クリストフォールは、ベリンダの後を付けて、カフェや映画館を付いて周るのだが、元々探偵でもない彼の行動にベリンダが気付く。
いわゆるストーカーのような行為なのだが、クリストフォールの人柄がベリンダに伝わり、彼に恐怖を感じることもなく、ただ付いてくる彼を避けることもなくロンドンの街を歩き回った。
一定の距離を保ち、一切言葉を交わさない二人の不思議なデートが始まった。
最初の内は、ただ彼女の後を付いていたクリストフォールだったが、彼女に観せたいものを見つけたら彼が彼女の前に行ってリードするようになる。
ロンドンの下町にあるベーコン通りや鹿肉横丁といった変な名前の街を歩き、カフェに入ってピサの斜塔という名前の大きなパフェを食べ、博物館や美術館で絵画や彫刻を観賞し、公園の迷路を走り回りランチを取る。もちろん会話を交わすことはなく、顔の表情と身振りだけで気持ちを伝え合う。
クリストフォールがベリンダの前に立ってリードする時、彼はスクーターのミラーを手に持ち、後ろを歩くベリンダの顔を覗きながら歩くシーンが微笑ましかった。

ベリンダは浮気をしている訳ではなく、チャールズと心が通じ合えなくなった寂しさを紛らわすために街を彷徨っていただけであった。

ただただ、会話もなく二人が歩き回る光景を観ていると、観ている自分の顔が綻んでいることに気付く。

心の声を聞くことに言葉は要らない。ただ見つめ合って、相手のありのままの存在を感じることが大事なんだと映画はそっと語りかけてくれる。

ジョン・バリーの音楽がまた良くて、優しく心に触れる曲なのだ。
この映画については、最後まで見終わっても、時間がたつとまた観たくなる作品であり、人に薦めたくなる作品である。
だからという訳ではないが、結末を明かしてもこの作品の場合は良いように思う。

ここからは少し深読みだが、クリストフォールは二人の仲を心配した神様が送った天使がキューピッドという設定があったんじゃないかということだ。
まず見た目は全て白ずくめ、スクーターに至るまで白で徹底している。
調査をする予定だった探偵が大怪我したこともトポルの口からの説明で唐突だ。
こじつけるつもりはないが、そう思って観るとしっくりするのである。

映画の最後のシーン、テムズ川を行く船の上のベンチに腰掛けるベリンダが映される。
そして画面が切り替わると少し前の席に白い帽子をかぶったチャールズがマカロンを食べながら微笑んでいる。
ベリンダは、どうにか微笑むのを我慢している何とも言えない表情。
ジョン・バリーの曲が流れ、二人を乗せた船を俯瞰で写し出す。
エンドロール。

最後のシーンのベリンダが微笑みたいのを我慢している表情が最高だった。本当に嬉しい時はああいう顔になるんだろうなと思う良い表情だった。
先にも書いたが、最後の俯瞰の映像も高い空から見守っている存在があるように思え、やっぱりクリストフォールはキューピッドだったんじゃと思ってしまう。

色々と宣ったが、本当に良い映画だから観ていない人には絶対お勧めの映画だ。
ただ悲しいかなビデオにもDVDにもなっていないから、BSやCSの放送をこまめにチェックしてもらうしかない。
何でこんなに素敵な作品がDVD化されないんだろうか。それが謎である。


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(=^・^=)kinop

2009年8月10日月曜日

ドラキュラ

昨日から雨。
台風の影響のようだ。
夏休みをとっている人が多いのか、駅も人が少ない。
夏といえば、ヒヤ〜っとして涼を得ようと、お化け屋敷や怪談話など、ホラー・オカルトの類いが毎年取り上げられる。
お化け、幽霊、妖怪などなど様々、あの世の住人たちが活躍する訳だ。お化けにとっても掻き入れ時である。

これらモンスターの中でも一番メジャーなモンスターは、多分、吸血鬼だろう。吸血鬼でも、特にドラキュラ伯爵が有名だ。
ブラム・ストーカー原作のフィクション怪異小説を元に舞台や映画化され、ドラキュラの名前が知れ渡り、今となっては吸血鬼=ドラキュラとなっている。

吸血鬼・ドラキュラというと、誰でも特徴の大半を言えるだろう。

・顔は青白く、長身。
・黒い襟が立った長めのマントを羽織っている。
・昼間は棺桶で寝て、夜に活動する。
・吸血鬼に噛まれた人間もまた吸血鬼に変身する。
・日の光を浴びると灰になってしまう。
・ニンニク、十字架が苦手で、十字架に触れると焼けただれてしまう。
・聖水もドラキュラの弱点である。
・ドラキュラは人家には招き入れられないと入ることは出来ない。
・蝙蝠や狼に変身できる。
・流れる水を超えることは出来ない。
・白木の杭で心臓を指すと退治できる。
・ドラキュラはルーマニアのトランシルバニア地方の古城に住む、元貴族のモンスターである。
・ドラキュラの大敵は、イギリスの科学者であるバン・ヘルシング教授である。
・眼力で人を催眠状態にして操れる。

などなど、思い起こせば、たくさんの特徴が頭に浮かぶはずだ。良く練られたキャラクターだと思う。
噛まれたら感染し、治療法はないという元に戻れないという恐怖感が、ドラキュラの怖さであり、興味を持たれる要因でもある。
夜の帝王ドラキュラは、元貴族だけあって、ダンディで優雅。要するにかっこいいというのも人気の理由だ。実際に映画でも長身でスマートな人が演じることが多いはずだ。
そんなスーパーマンを無力な人間が苦労して退治する姿をハラハラしながら観るから面白いのだ。
基本的にゾンビも生ける屍であり、ドラキュラから派生したモンスターだ。元々は人間だったということが、やはり興味を持たれる理由だろう。
兎にも角にも、ホラー好きは皆大抵、ドラキュラが好きなのだ。

吸血鬼の映画はやたら多く、最近ならケイト・ベッキンセールのスタイリッシュな女バンパイアが登場するアンダーワールドや黒人俳優のウェズリー・スナイプスのブレイドが有名だろう。少し前には、ホモセクシャルな香りのする映画インタビュー・ウィズ・バンパイアでトム・クルーズとブラッド・ピットが共演した。
シチュエーションは様々だが、皆、先に上げたドラキュラの特徴をベースにしている。

と、様々な吸血鬼の映画はあふれているが、やはり定番であり、ドラキュラのイメージを定着させたのはクリストファー・リーだろう。アメリカ人ならベラ・ルゴシというかも知れないが、私はクリストファー・リー以外は考えられない。
長身で品があり、闇の恐怖を感じるリーの風貌はまさしくドラキュラに相応しい。このドラキュラと対峙する宿敵バン・ヘルシング教授といえば、やはりピーター・カッシング。
二人とも英国の俳優だ。

クリストファー・リーとピーター・カッシングは、低予算B級ホラーを制作していたハマープロでドラキュラを始めとした作品に出演していた。映画はB級、少ない予算でありながら、二人の高いレベルの演技で、最高の作品作りに取組んでいた。
カッシングもリーも舞台俳優であり、かのローレンス・オリビエ卿とハムレットの舞台に立ったことがある。カッシングにいたっては、オリビエ自身から認められていたそうだ。
カッシングは誰からも尊敬される温厚な紳士だったと聞く。
リーも知的な人物で、フランス語やドイツ語など数か国語を話し、演技が出来た。
この二人、映画の中では、ドラキュラとバン・ヘルシングと宿敵同士だったが、プライベートでは、親友同士だったらしい。

カッシングは晩年にスターウォーズの帝国軍の冷徹な司令官として登場し、リーもジェダイマスターとして登場した。同作品の共演はなかったが、二人が出演したと思うと感慨深いものがある。
カッシングは亡くなったが、リーはまだ健在でロード・オブ・ザ・リングなどで活躍している。

やはり、ドラキュラ映画はこの二人かな。

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(=^・^=)kinop

2009年8月5日水曜日

テキサスの五人の中間

今朝は早く目が覚めた。
すっきり目が覚めたから、寝直すのも何なんで、起きることにした。
いつもよりも30分程度早くベッドを出た。


昨夜は、『テキサスの五人の中間』という映画を観た。1966年のアメリカ映画だ。
主演は、今は亡きポール・ニューマンの奥さんであるジョアン・ウッドワード。共演が豪華で、ヘンリー・フォンダ、ロッキーのトレーナーのミッキー役でお馴染みのバージェス・メレディス、ジェースン・ロバーズ、チャールズ・ビックフォード、ポール・ワードなどが顔を揃えている。
この映画は西部劇であるが、拳銃で撃ち合うこともなければ、牛を追うカウボーイの姿もない。


西部のある町で、年に1回有名なギャンブラーが大金を賭けたポーカーをするために集まる。
映画の冒頭、葬儀屋のチャールズ・ビックフォードが馬車を走らせギャンブラー達を拾っていく。裁判中の弁護士、結婚式の真っ最中の花嫁の父など、何をしていようが、年に1回のポーカーのために皆馬車に乗っていく。
町では、ギャンブラー達を待つ人達が酒場に集まり、今や遅しと待ち構えている。
画して、五人のギャンブラー達が集まり、ポーカーが始まった。
そこに旅の途中の一家が通り掛かる。この夫妻がジョアン・ウッドワードとヘンリー・フォンダである。
一家は馬車の車輪を修理するために立ち寄っただけだが、ヘンリー・フォンダは大のポーカー好きで偶然であったポーカーの話を聞き、いても立ってもいられなくなってしまう。
不安がる妻に観るだけだと説得し、ポーカーを見学することになる。
ジョアン・ウッドワードは息子に見張りを頼み、馬車の修理に出掛けるのだが、フォンダは観ているだけで我慢できなくなり、ポーカーに参加してしまう。
最初は、農場を始めるために貯めた4000ドルから1000ドルを手をつけ、あっという間にすってしまい、とうとう残りの3000ドルにも手をつけてしまう。
ウッドワードが戻った頃には、ポーカーで残り500ドルをベット出来ずに困り果てているフォンダの姿を目にする。
フォンダは、ポーカーのショックで心臓発作を起こし、倒れてしまう。
フォンダの代わりに妻のウッドワードがゲームを続けなければ一家は破産する運命。
さあ、どうなるのか。


これ以上は映画を観てのお楽しみ。
詳しくは何も言えないが、この手の映画なら『スティング』より面白いと思う。
よく練られた脚本が秀逸で、最初のシーンも最後に生きてくる演出もにくい。
それにジョアン・ウッドワードがすごく美しく、西部の男達の中で光っていた。
原題は『A Big Hand for the Little Lady』で訳すると「可愛い婦人の大きな手」といったところだろうか。
『テキサスの五人の中間』という邦題もよく出来たタイトルで、見終わった後になるほどと思うはずだ。


悲しいかな、この映画はDVD化されていないし、ビデオも大分前に廃盤になっている。
CSで放送されたこともあるみたいなので、運が良ければ観れるかもしれない。
もしも、このタイトルを見掛けたら、是非観てほしい作品だ。


それにしても、良くできた娯楽作品なのに知名度の低さはどうしてだろうか。
DVD化してほしい作品の1つだ。


こういう映画を観たら、水野晴朗さんを思い出すなあ。


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(=^・^=)kinop

2009年8月4日火曜日

幸せになる1枚

いろんな説明は不要。
ネットで見掛けた素敵な写真。


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(=^・^=)kinop

2009年8月3日月曜日

夏休み

今朝は快晴。
真っ青な空。蝉の声。
夏の朝だ。
梅雨は明けたんだろうか?

今週から来週、再来週あたりで夏季休暇を取る人が多い。来週がピークだと思うが、皆夏休みの時期だ。
ディズニーランドに行ったり、墓参りしたり、海水浴に行くなど皆行先も遊び方も様々だ。

子供の頃、夏休みはすごく楽しみだった。夏休みは、当たり前だが学校もお休み。楽しいイベントもたくさんあって、毎日が楽しかった。
夏休みには、夏祭り、近くのお寺の映画会、ゴジラの映画、海水浴と子供にとっては楽しい予定がカレンダーにズラッと並んでいた。

夏祭りには露店が並び、石段を登った本殿前の広場には特設の舞台で漫才や手品をやっていた。
金魚すくいにヨーヨー釣り。スマートボール、輪投げ、綿アメなどなど、カラフルな幕を張った露店が参道いっぱいに並んでいた。
型抜きとか、10円玉を水槽の中のコップに入れる難易度の高いゲームもあった。
お寺の映画会は、お寺の大広間でお菓子を貰ってみんなでマンガ映画を楽しんだ。お寺ってなんて良いところかと思ったのは私だけじゃないだろう。
夏祭りも映画会も、そのイベント自体はもちろん楽しかったんだが、友達と夜更かししているのが、楽しかった。普段なら早く寝ないと怒られるが、イベントの時は親も公認だから夜更かししても怒られないからだ。
夏休み間近になると映画館のおじさんが校門の近くで映画の割引券を配っていた。
その小さなチケットには、ゴジラやみんなのヒーローがところ狭しと並んでいた。夏休みに入ったら、お父さんにねだって映画に連れて行ってもらった。ゴジラが大暴れする姿を食い入るように見て、仮面ライダーでは映画でしか見れない怪人がたくさん登場するのに大興奮した。連れて行ってくれたお父さんはというと、大抵は寝ていたように思う。

今のようにクーラーなんてなかったし、テレビゲームもなければビデオもなかったから、昼間は外で遊び回っていた。
夜も8時を過ぎると子供が見たいテレビもなく、寝るのが当たり前だった。
ビデオがないから、映画館で観る映画がすごい値打ちがあった。『ゴジラ・モスラ・エビラ南海の大決闘』を見に行ったことは今でも記憶に残っている。


今は、ビデオやDVDもあり、テレビゲームがあるのが当たり前。その時観れなくても後から観ることも出来るし、当時のような有り難みもない。
時代が違うから仕方ないとは思うけど、今よりも物がなかったから幸せだったことも多かったように思う。

あ〜、夏休みか。


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(=^・^=)kinop

2009年7月31日金曜日

針がなくても良いじゃない

梅雨明け間近と言ってから1週間以上は経ったが、未だに梅雨は居座り、微妙なお天気が続いている。
昨日は湿度も低くて、夜も涼しく、過ごし易かった。
明るい日差しだけど、木陰に入ると涼しい日がこないものか。


私は天の邪鬼ではないと思っているが、みんなが良い良いと言っても、いまいち感化されないところがある。
と言っても、別に奇抜な格好をしている訳でもないが、流行っているから何でもという考えはない。
流行っていなくても、面白いアイディアで工夫がされているものには興味があり、見てしまうと、どうしても欲しくなる。

良い例が腕時計だ。
私の腕時計を見たら、皆きょとんとした顔をする。パッと一瞬見たぐらいなら気付かないことが多いけれども、じっくり見ると時計にあるべき一番大事な物がない。


時計の針がないのである。


といっても、デジタルウォッチではないアナログ時計だ。
針がなければ、どうして時間が分かるかというと、短針の代わりに金属のボールがインデックスの盤面の上を転がっていて、そのボールの位置がどこにあるかを見て時間を知る訳だ。
長針や秒針はないから、きっちりした時間は分からない。切りの良い12時調度とかなら分かりやすいが、22分とか微妙な時間は正確には読み取りにくい。でもこれも慣れれば2分の誤差ぐらいで時間が分かる。
確かに電車の時刻や打合せの時間に遅れるのは良くないから正確な時間をしる必要があるように思えるが、遅れないことが重要であり間に合えば問題はない。
時計の針がないからきっちりした時間は分からないが、時計自体は正確に時を刻んでおり、誤った時間を表示している訳ではない。
逆に2分ぐらいの幅で正しい時間を読み取れないことを分かっているから、待ち合わせも電車も早めに行かないといけないので、遅れない訳だ。
だから、私の時計は針がなくても時計の役割を十分果たしていると思う。

でもやっぱり、この時計の楽しさは、針がないことを気付いた人のきょとんとした顔を見ることだ。
この時計をしてから結構経つが、まだ今でもたまにきょとんとした顔をする人がいる。

因みに、このボールは盤面の裏にマグネットが付いた短針があり、磁力でくっついている。だから、時計を軽く指で弾くとボールは盤面から離れ自由に転がる。自由に転がるボールは、現在の時刻のそばに近付くとマグネットに吸い寄せられ、プルプルっと震えて盤面に吸い付く。
見ていても楽しいし、静かなところだとチリンチリン鳴って猫の鈴みたいで心地良い。

ゆったりと時間が流れるように思えるユニークな時計が私のお気に入りだ。
このアバウトな時間を教えてくれる時計は、厳格なイメージのあるドイツ人のデザイナーが考えたABACUSという腕時計だ。


やっぱり俺は天の邪鬼かも。


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(=^・^=)kinop

2009年7月30日木曜日

巣立ち

例のツバメの巣だが、昨日ブログしたように雛たちは、皆巣立っていった。
空っぽの巣だけが残っている。
これから夏を日本で過ごし、秋には台湾やフィリピンの方に旅するのだろう。

昨日は、パートナーのSEさんの送別会だった。いろんなパートナー会社のSEさんも出席し、30人弱集まった賑やかな送別会だった。
毎度のことだが、送別会といっても、しんみりとなることもなく、馬鹿話をして大盛り上がり。
次にどこで働くのかは、まだはっきりしていないそうだが、体に気をつけてほしい。

送別会で気付いたが、私も周りを見るとパートナー会社のSEさんも含めて上から3番目の年齢になっている。会社のメンバーの中では一番のおっさんだ。
息子と同い年の新人も入り、間違いなく正真正銘のおっさんになったが、30歳ぐらいからちっとも変わっていない気がする。
そういう訳で、最近は締めの挨拶をしろと言われることもたまにあるが、元々締めたくない人なので、皆の反応を見ながら、皆と馬鹿話をしているようになって、ちっとも締まらない。自分でも締める気がないから挨拶というより、楽しんでしまう訳だ。
という訳で、言いたいことを言いたいだけ言って、最後は我が職場のアバレッドに乾杯をふって、お開きとなった。

いずれまた一緒に仕事をすることもあるだろうし、しんみりする必要もない。
願うことは、体だけは気を付けてほしいということだけだ。


結局、昨日もアラフォーならぬアラフィフティとしては、もうちょい落ち着かないといけないのかなと思いつつ、まだまだ変われそうにはないことを実感した。
まあ、いいか。

∧-∧
(=^・^=)kinop

2009年7月29日水曜日

偏愛?

今朝も曇り空。日も差してはいるが、蒸し暑くすっきりとしない空模様だ。

ツバメの巣は、雛が3羽になった。雛というにも大分と大きくなって親と同じ大きさだ。きっと一足先に巣立ったのだろう。
毎朝、雛の様子を観るのが日課になっているので、観れなくなると少し寂しい。


会社の社内のイントラネットサイト上に個々人のHPが開設されており、今年度の意気込みや目標を掲載するようになっているが、今年度は、それに加えて偏愛マップを掲載するように指示があった。偏愛マップとは名前が冬彦さんぽい(古っ)が、誰しもある特定のものを偏って愛しているから、それを皆に紹介するためのマップが偏愛マップということだ。
とは、言っても変態的な趣味を紹介する訳ではなく、個人的に好きなものを掲載する訳で、コミュニケーションの向上に役立てようという訳だ。

とはいうものの会社の小さなスペースのHPでは紹介仕切れることは難しいので、ほんの一部を掲載した。何せ1MB程度という制約があるから致し方ない。

で、私の場合は5つにジャンルを絞った。映画、音楽、カリグラフィ、懐かしいもの、TORAの5つだ。
映画は数え切れないほど好きな映画もあるし、好きなスターもそれこそ星の数ほどいる。音楽もやはり好きな曲はやまほどあるし、絞り込むのも困難だ。そこで映画は画面上に表示してどうにか見えるサイズでタイルのように画像を貼り付けた。ヘップバーンもマックイーンも親指で隠れてしまう。
音楽もアルバムのジャケットを同じように貼り付けたが、邪魔くさくなってほんの一部だけを貼り付けた。
レニー・クラビッツ、KISS、ロバータ・フラック、エリック・クラプトン、カーペンターズ、ビージーズ、クリスティーナ・アギレラ、シェリル・クロウ、レイ・チャールズ、ミシェル・ポルナレフ、STYXなどなど、ジャンルも年代も関係なく、頭に浮かんだジャケットを貼り付けた。
これに邦楽まで入れると訳が分からなくなるので、洋楽に絞った。本当はロバータ・フラックとレイ・チャールズの間に北島三郎を挟みたいけれど、我慢した。

と、なんやかんやと貼り付けたらマップがでかくなってしまうのでフラッシュのコンテンツにして1MBに抑えた。
そもそも、「好き」ということ自体が、偏愛である。普通の状態より見ていて心地良いとか、興味があるみたいな状態が、「好き」だから偏っていて当たり前である。いっぱい乗物があってもスーパーカーが好きな人、バイクが好きな人、チャリンコが好きな人、中にはバキュームカーが好きな人もいて、人それぞれ好き嫌いは何かに偏っている。
だからネーミングはいまいちだと思うが、いざ好きなものを上げろと言われても中々まとまらないものだ。
真剣に考えたら広辞苑サイズでも収まらないだろう。
TORAの好きなところだけを上げても沢山あるだろう。顎の下のふわふわとしたところ、イライラした時にピッピッと振る尻尾、眠そうな顔、首を傾げてする不思議そうな表情などなど、切りがない。
息子を偏愛するというと変に聞こえるが、他人の子供より自分の息子に愛情があるのは当たり前だ。


愚痴じゃないけど、偏愛とは変な言葉だなあ。


∧-∧
(=^・^=)kinop

2009年7月28日火曜日

ゴールドスミス

今朝もどんより曇り空。
梅雨も後半になってから本格的になったようだ。

昨日は、エンニオ・モリコーネの音楽を聴きながら出勤したが、今日はジェリー・ゴールドスミスのフィルム・スコアを聴きながら出勤している。
ジェリー・ゴールドスミスは、生涯で170本以上の映画作品を手掛けた大作曲家である。
『猿の惑星』、『パピヨン』、『エイリアン』、『スタートレック』など数多くの作品に音楽を提供し、アカデミー賞には18回ノミネートされ、『オーメン』では受賞もしている。エミー賞でも5回受賞しており、長い期間に渡って年間6本のペースで作曲した。
『オーメン』のような恐怖を煽る旋律から『スタートレック』のような爽快感とスケール感にあふれた迫力のある曲まで、あらゆるジャンルの映画に素晴らしい音楽を提供した。
モリコーネも凄かったが、ゴールドスミスも半端じゃない。


『ブルー・マックス 』The Blue Max(1966年)
『電撃フリント/GO!GO作戦』Our Man Flint(1966年)
『猿の惑星』Planet of the Apes(1968年)
『パットン大戦車軍団』Patton(1970年)
『トラ・トラ・トラ!』TORA!TORA!TORA!(1970年)
『パピヨン』Papillon(1973年)
『チャイナタウン』Chinatown(1974年)
『風とライオン』The Wind and the Lion(1975年)
『オーメン』The Omen(1976年)
『ブラジルから来た少年』The Boys from Brazil(1978年)
『カプリコン・1』Capricorn One(1978年)
『エイリアン』Alien(1979年)
『大列車強盗』The First Great Train Robbery(1979年)
『アウトランド』Outland(1981年)
『スタートレック』Star Trek: The Motion Picture(1979年)
『ランボー』First Blood(1982年)
『ポルターガイスト』Poltergeist(1982年)
『トワイライトゾーン/超次元の体験』Twilight Zone The Movie(1983年)
『サイコ2』Psycho II(1983年)
『グレムリン』Gremlins(1984年)
『スーパーガール』Supergirl(1984年)
『スティーブ・マーティンのロンリー・ガイ』 The Lonely Guy(1984年)
『レジェンド / 光と闇の伝説』Legend(1985年)
『ロマンシング・アドベンチャー キング・ソロモンの秘宝』King Solomon's Mines
(1985年)
『ランボー/怒りの脱出』Rambo: First Blood Part II(1985年)
『ライオンハート』Lionheart (1987年)
『ランボー3/怒りのアフガン』Rambo III(1988年)
『リバイアサン』Leviathan(1989年)
『スタートレックV 新たなる未知へ』Star Trek V: The Final Frontier(1989年)
『トータル・リコール』Total Recall(1990年)
『グレムリン2 新・種・誕・生』Gremlins 2: The New Batch(1990年)
『ロシア・ハウス』The Russia House(1990年)
『氷の微笑』Basic Instinct (1992年)
『ミスター・ベースボール』"Mr. Baseball"(1992年)
『ルディ/涙のウイニング・ラン』Rudy(1993年)
『スタートレック ファーストコンタクト』Star Trek: First Contact(1996年)
『L.A.コンフィデンシャル』L.A. Confidential(1997年)
『エアフォース・ワン』Air Force One(1997年)
『ムーラン』Mulan(1998年)
『スタートレック 叛乱』Star Trek: Insurrection(1998年)
『スモール・ソルジャーズ』Small Soldiers(1998年)
『追跡者』U.S. Marshals(1998年)
『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』The Mummy(1999年)
『13ウォーリアーズ』The 13th Warrior(1999年)
『インビジブル』Hollow Man(2000年)
『ネメシス/S.T.X』Star Trek: Nemesis(2002年)
『ルーニー・テューンズ バック・イン・アクション』Looney Tunes: Back in Action(2003年)


ランボーでも大統領でも掛かってこい、という感じだ。
最初にゴールドスミスの名前を知ったのは、親父に連れて行ってもらった『パピヨン』だ。『パピヨン』は、フランスから南米ガイアナに送られた囚人パピヨンの話で、幾度となく命懸けの脱走を試みては捕まってしまう主人公をスティーブ・マックイーンが迫真の演技で演じた。
共演したダスティン・ホフマンとともに今までのイメージと全く違うリアルさで、過酷な囚人環境と脱走のサスペンスを観客に伝えた意欲作だ。
それに楽曲を提供したのが、ゴールドスミスである。
美しい耳に残るメロディーが場面に応じてアレンジされて使われ、パピヨンのイメージがイコール ゴールドスミスの曲という感じだ。
映画のパンフレットを見て、ゴールドスミスの名前を知ったが、それ以来何度も彼の名前を目にし、何度も彼の素晴らしい音楽に感動させられた。
美しい旋律も、恐怖感溢れる旋律も、エアフォース・ワンのような迫力溢れる音楽も全て高いレベルで映画を盛り上げている。
スタートレックは特に有名だと思うが、宇宙空間をエンタープライズ号が航行する壮大さを迫力満点の音楽で表現していた。
ゴールドスミスの曲なくしては、スタートレックの魅力も大きく損なわれるだろう。


日本にも1998年と2000年に来日し、神奈川フィルを指揮しコンサートを行っている。
来日した際のイベントでの会話やコンサートの様子をネット上で目にしたが、温厚で謙虚な人柄は、170本もの映画を手掛けた大作曲家とは思えない気さくさである。コンサートではアンコールが鳴りやまず、追加でメドレーを演奏したが、それでも治まらなかったので、最後は彼が舞台から観客に謝ったそうだ。
彼は、素晴らしい演奏を賞賛された時も、自分は指揮をとっているだけで、素晴らしいのはオーケストラの皆さんだとも言ったそうだ。

2003年に予定されていた三度目の来日は、体調不良のために実現せず、代わりに彼の友人のチャールズ・フォックスが指揮をとった。会場で流されたゴールドスミスのビデオメッセージにファンも次の来日を期待したが、2004年7月21日の早朝、ロサンゼルスの自宅にて肝臓癌で息を引き取った。享年75歳であった。

彼が亡くなったことは本当に残念だが、彼が多くの作品を手掛けてくれたので、彼が関わった映画を観る度に彼を思い出し、感動させてくれるだろう。


ジェリー・ゴールドスミスは、本当に素晴らしい映画作曲家だった。

2009年7月27日月曜日

モリコーネ

雨雲が空いっぱいに広がっている。
週末から雨がよく降っていて、梅雨はいつ開けるのかと思うお天気だ。

例の駅のホームに作られたツバメの巣だが、今朝駅に行くと巣の下に注意書きのプレートが貼られていた。
「頭上注意 つばめの巣があります」
何となく嬉しい気分だ。
雛たちはすっかり大きくなって、親ツバメとさほど変わらない大きさで巣からはみ出しそうになっている。巣立ちも近そうだ。

今日は映画音楽の巨匠であるエンニオ・モリコーネの音楽を聴きながら出勤だ。モリコーネは、セルジオ・レオーネ監督のマカロニウエスタンの音楽で名を知られ、遺作となったワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカまで、その関係は続いた。
マカロニウエスタンだけにとどまらず、数多くの作品を手掛け、アカデミー賞においても何度となくノミネートされている。映画音楽の巨匠としては5本の指に入る大作曲家である。
ウイキペディアで調べた彼の作品を見れば、その凄さを実感する。


荒野の用心棒 A Fistful of Dollars (1964)
夕陽のガンマン Per qualche dollaro in piu (1965)
夕陽の用心棒 Una Pistola per Ringo (1965)
続・夕陽のガンマンIl Buono, il brutto, il cattivo (1966)
テオレマ Teorema (1968)
殺しが静かにやって来る Il Grande silenzio (1968)
ウエスタン Once Upon a Time in The West (1969)
シシリアン Le clan des siciliens (1969)
狼の挽歌 Citta violenta (1970)
デカメロン Il Decameron (1971)
わが青春のフロレンス Metello (1971)
夕陽のギャングたち A Fistful of Dynamite (1971)
殺人捜査 Investigation of a Citizen above Suspicion (1971)
進撃O号作戦 Che c'entriamo noi con la rivoluzione? (1973)
エスピオナージ Le Serpent (1973)
ペイネ 愛の世界旅行 Il Giro del mondo degli innamorati di Peynet (1974年)
アラビアンナイト Il foire delle mille e una notte (1974年)
ソドムの市 Salo o le 120 giornate di Sodoma(1975)
ミスター・ノーボディ My Name is Nobody (1975)
1900年 Novecento(1976)
オルカ Orca (1977)
エクソシスト2 Exorcist �: The Heretic (1977)
天国の日々 Days of Heaven (1978)
Mr.レディMr.マダム La Cage aux folles (1978)
華麗なる相続人 Bloodline (1979)
華麗なる女銀行家 La Banquiere (1980)
遊星からの物体X The Thing (1982)
ホワイト・ドッグ White Dog (1982)
サハラ Sahara (1983)
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ Once Upon a Time in America (1984年)
スキャンダル・愛の罠 La gabbia (1985)
レッドソニア(1985)
ミッション The Mission (1986)
アンタッチャブル The Untouchables (1987)
フランティック Frantic (1988)
ニュー・シネマ・パラダイス Nuovo cinema Paradiso (1988)
カジュアリティーズ Casualties of War (1989)
アタメ Atame! (1990)
みんな元気 Stanno tutti bene (1990)
ステート・オブ・グレース State of Grace (1990)
ハムレット Hamlet (1990)
夜ごとの夢/イタリア幻想譚 La Domenica specialmente (1991)
バグジー Bugsy (1991)
鯨の中のジョナ Jena che visse nella balena (1992)
ザ・シークレット・サービス In the Line of Fire (1993)
ウルフ Wolf (1994)
ディスクロージャー Disclosure (1994)
明日を夢見て L'Uomo delle stelle (1995)
ロリータ Lolita (1997)
Uターン U Turn (1997)
海の上のピアニスト La Leggenda del pianista sull'oceano (1998)
ブルワース Bulworth (1998)
オペラ座の怪人 Il Fantasma dell'opera (1998)
ミッション・トゥ・マーズ Mission to Mars (2000)
宮廷料理人ヴァテール Vatel (2000)
マレーナ Malena (2000)
リプリーズ・ゲーム Ripley's GameE (2002)
題名のない子守唄 La Sconosciuta (2006)


モリコーネは、ニュー・シネマ・パラダイスやアンタッチャブルのような大ヒットした作品の音楽だけでなく、SF作品やコメディでも活躍している。
ジョン・カーペンター監督の『遊星からの物体X』も彼の音楽だというのは知らない方も多いと思うが、ジャンルに拘らず、多くの楽曲を提供し続けている。
マカロニウエスタンの乾いた荒野に鳴る緊張感溢れるギターのメロディーからニューシネマパラダイスのようなロマンチックで繊細なメロディーまで、映画が引き立つ音楽はどういうものか知り尽くした大作曲家である。
映画音楽の大作曲家と呼ばれる人は、モリコーネのような姿勢で取組んでいる人が多いように思う。
スタートレックやパピヨンで知られるジェリー・ゴールドスミスもポルターガイストやロボコップなどジャンルを問わず、素晴らしい楽曲を提供している。言い方が悪いかも知れないが、映画よりも音楽の方が高いレベルになってしまうこともあり、少なからず映画のレベルを引き上げていた。

先に映画音楽で5本の指に入る大作曲家と言ったが、私ならこの巨匠達が頭に浮かぶ。

エンニオ・モリコーネ
ジョン・ウィリアムズ
ジェリー・ゴールドスミス
ヘンリー・マンシーニ
ジョン・バリー
フランシス・レイ

5本と言ったが、6本になってしまった。ちょっと大目に見てほしい。

ジョン・ウィリアムズは、『スターウォーズ』や『ジョーズ』、『スーパーマン』、『未知との遭遇』、『シンドラーのリスト』など多くの作品を手掛け、壮大・荘厳な音楽を聞かせてくれている。スピルバーグの作品の大半は彼の曲だ。

ヘンリー・マンシーニは、『シャレード』や『ティファニーで朝食を』のムーン・リバー、『ピンク・パンサー』のテーマ曲で有名だ。ロマンチックで華やかな楽曲が彼の魅力だ。

ジョン・バリーはなんといっても007シリーズの音楽だろう。007以外にも『野生のエルザ』や『ダンス・ウイズ・ウルブス』など多くの作品に関わっている。

最後にフランシス・レイたが、フランス映画と言えばこの人だろう。クロード・ルルーシュ監督との作品の数々は、フランス映画音楽の代名詞と呼んでもいいほどだ。『男と女』、『白い恋人たち』、『パリのめぐら逢い』などは定番中の定番だ。
フランシス・レイを上げると『シェルブールの雨傘』のミシェル・ルグランも素晴らしい作曲家だ。
やっぱり5本じゃなくて10本は要りそうだ。


んー、やっぱりモリコーネは良いなあ。

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(=^・^=)kinop

2009年7月22日水曜日

皆既日食

今日は46年ぶりの皆既日食。

奄美大島、トカラ諸島から種子島の南端にかけて皆既日食が観れる。東京でも食度0.75の部分日食なので広範囲で欠け方の大きな日食が観測できる。
次に日本で皆既日食が観れるのは26年後だということで、今回のように6分程度という長い時間観測できる日食は123年後まで待たないといけない。だから、今回の日食は今世紀最長の日食なんだそうだ。
日食は、太陽の手前を月が横切る際に太陽が月に隠れ光が遮られ辺りが暗くなる現象であり、太陽の中心を横切るように見えることを皆既日食と言い、中心をそれると部分日食と言う。
皆既は、皆尽きるという意味だ。
皆既日食は、徐々に月が太陽を覆い始め、やがてぴったり太陽と重なり、また徐々に離れていく。地球から見た月の直径は時により異なるため、見た目の直径が太陽より月が小さい場合は金環食と言い、金の光の輪が観れる。


今は文明も発達し、理屈も分かっているから、すごいことではあるが、驚いたり怖がったりはしないが、大昔の人はさぞかし驚いたことだろう。
凶兆として良くないことが起こらないかと心配もしただろう。


1982年に惑星直列という太陽系の惑星が一列に並ぶという現象もあったが、実感もなく終わった。惑星直列も厳密に言うと一直線にきっちり並ぶ訳ではなくない、太陽から見て90度の範囲に並ぶことを言うそうだ。
偶然に惑星が一列に並ぶだけで意味がないように思うが、天体調査の面では大きなメリットがあるようだ。太陽系の中心から遠く離れた木星・土星・天王星・海王星を連続的に探査するのに理想的だったため、ボイジャーは1977年に打ち上げられ、惑星の撮影に成功したそうだ。


周期的な天体の移動が生む偶然の出来事と言ってしまえばそれまでだが、普段はちまちました俗事に追われているんだから、たまには壮大な宇宙に生きていることを実感するのも良いだろう。
生憎の空模様だが、辺りが薄暗くなるのが楽しみだ。


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(=^・^=)kinop

2009年7月21日火曜日

ツバメ

週明けから雨。
梅雨明け間近だが、相変わらずじとっとした鬱陶しいお天気だ。

今日はいつもより早めに駅に着いた。
始発電車を待つ人が、疎らにホームに並んでいたが、1か所だけ誰も並んでいない場所があった。ホームの中ほどの場所であり、誰かが並んでいてもいい場所に誰も並んでいない。
ちょい不思議に思ったが、その場所に近付いて、人が並ばない理由が分かった。

ホームには、白い斑模様。上を見上げるとツバメの巣があった。小さな体に大きな嘴の雛が、小さな巣の中で押し合いへし合い。
よく見ると4羽の雛がいた。
しばらくすると、中の1羽がクルッと白いお尻を巣の外に向けポトポトとうんちをした。
うんちが終わるとまた4羽は巣の外に向いて顔を並べ、親ツバメの帰りを待っていた。
なんとも可愛い光景で、見ていると心が和む。

しばらくすると、親ツバメがトンボを咥えて帰ってきた。
さっきまで静かだった雛たちは、みな小さな翼を目一杯に広げて、大きく口をあけピーピー鳴き出した。
右から2番目にいた雛がトンボを咥えたが羽が大きく中々飲み込めない。左の雛が、そのトンボを横からつつき、巣の中ではトンボの取り合いで大騒ぎだ。
もう1羽の親ツバメも戻り、餌を与え終わるのを見届けるとまた2羽で飛んで行った。

朝から理科の観察をしているような気分だ。
松井山手近辺にお住まいの皆さん。雛が巣立つまでのしばらくの間、1番ホームの6輛目付近は気をつけていただきたい。

毎年毎年、ツバメが現われ子育てをする光景を目にする。駅のような人の集まる場所は外敵から雛を守るのに適しているらしく、多くのツバメの巣がある。
鳩やカラスにとっては、住みづらいらしく、ほとんど目にしない。まさにツバメの楽園だ。

因みに、「燕」という字はツバメの姿を描いた象形文字で、下にある4つの点は二つに分かれた尾羽を表している。

もうすぐツバメも巣立ち、夏がくる。
ツバメたちは、日本で夏を過ごし、冬がくる前に旅立ち、台湾、フィリピン、ボルネオ島北部、マレー半島、ジャワ島などで冬を越す。

今日は朝からツバメのお陰で良い気分だ。

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(=^・^=)kinop

2009年7月15日水曜日

秘密結社・太騎士軍団

夏の朝という感じ。
日差しがきつい。
暑い!

会社には太騎士軍団というオヤジゲーマー達がいる。太騎士軍団とは、白騎士というPS3のゲームを楽しむアラフォー・メタボ・ゲーマー達の総称だ。
この白騎士は、ネットワークでパーティを組んで楽しむゲームらしく、太騎士軍団の面々が夜な夜なPS3の電源を入れて、SKYPEで通話しながらゲームに興じている。
太騎士軍団のメンバーは職場の仲間だけにとどまらず、ユーザさんのメンバーも入団している。
金曜日や土曜日ともなると夜遅くまで格闘しているらしい。
先日は、この秘密結社が梅田でオフ会を開いたとも聞く。

この太騎士軍団は、元はPSPのモンスター・ハンター・クラブの構成員で成り立っている。
会長はミスター・ポテチこと、マサ・T。副会長は阪南のジャイアンことタカ・N。この2人、顔を合わすといつも白騎士の話題だ。軍団の秘密の暗号で昨日のゲームの戦術や今後の計画を話あっている。横から聞いてもほとんど理解出来ない。あと何百回周らないとあーだこーだ、とか目を輝かせながら嬉嬉として話し合っている。

この二人が、昨日、有休で早退し、心斎橋に出掛けたらしい。目的は、iPhone3GSの購入だ。
当初はジャイアンが購入を検討していたが、それを見ていたミスター・ポテチが感化され、彼の敏感な物欲センサーが反応し、衝動買い回路が接続され、購入を決定した。
嬉しそうに帰った二人。
今日、どんな顔をして来るのか楽しみだ。きっとニヤけ顔で来るだろう。
二人は新しいガジェットを手に入れ、太騎士軍団の活動も更に活発になることが予想される。

会の活動に口を挟むつもりはないが、少し心配なのはミスター・ポテチの生活スタイルだ。メタボのアラフォーが深夜にポテチは命取りだ。せめて、ポテチはやめて、低カロリーの物に変えて欲しいものだ。
例えば、蒟蒻ゼリーとかは、どうだろうか。
ミスター・ポテチ改めミスター・ノンオイルとかミスター・低カロなんて良いと思うが。

という訳で、太騎士軍団の暗躍は今後も続くだろう。
恐るべし太騎士軍団。

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(=^・^=)kinop

2009年7月14日火曜日

虐待死という殺人

お日さんが、かーっ!
桂枝雀の落語の一節が頭に浮かぶように、朝からじりじりとした日差しがあたり、目茶苦茶に暑い。
雲も多いが、夏の日差しという感じである。

西淀川の幼児の虐待死の記憶もまだ新しいが、また虐待死の記事を目にした。
下は、産経新聞のホームページに掲載された記事だ。

2歳児をごみ箱に閉じ込め…監禁致死容疑で両親逮捕 警視庁
2009.7.10 12:11

 2歳の長男をごみ箱に長時間閉じ込めて窒息死させたとして、警視庁捜査1課は10日、監禁致死の疑いで、東京都練馬区高松の建築業、菅野美広(よしひろ)(34)と、妻の理香(34)の両被告=傷害罪で起訴=を逮捕した。同課は日常的に虐待していた疑いがあるとみている。

 逮捕容疑は昨年12月23日未明から午後4時ごろにかけて、自宅の和室にあった高さ80センチのごみ箱に、長男の優衣ちゃん=当時(2)=を入れたまま、ふたを閉めるなどして出られないようにして監禁、窒息死させたとしている。

 捜査1課によると、2人はごみ箱の中で騒いでいた優衣ちゃんが静かになっても、しばらく放置していたとみられる。

 美広容疑者が午後4時10分ごろに自ら119番通報。優衣ちゃんはその場で死亡が確認され、美広容疑者は当初、「朝は元気だったが、夕方に気が付いたら和室のごみ箱の中でぐったりしていた」などと説明していた。
 2人は今年4月、昨年12月中旬に数回にわたって優衣ちゃんをベッドに縛り付けて軽傷を負わせたとして、傷害容疑で逮捕、起訴されていた。
優衣ちゃんは、両親と姉2人の5人暮らしだった。


2歳の子供をゴミ箱に閉じ込め、窒息死させるような鬼畜の所業であっても、また今度も傷害致死で裁かれ、殺人には問われないだろう。
死んでいった女の子に何の罪があったというのか。
2歳といえば、本当に可愛い時期だ。両親の愛情に包まれ、いろんなものを見て、笑い、いろんな言葉も覚え、皆から可愛がられる時、この女の子は一番愛してくれるはずの両親から虐待を受けて、天国に召された。
可哀想という言葉だけでは表現出来ない哀れさを思うと、女の子を殺した両親に大きな怒りを感じる。
何故そんな残虐な行為が行えるのだろうか。可愛いはずの我が子を殺める理由なんて想像も出来ない。
彼らは、きっと子供を子供とは思ってもいなかったのだろう。自分の所有物という感覚で、何をしても良いと思っていたのではなかろうか。
鳴いてうるさいから、躾と称して暴行をする。愛情のかけらもない。

子供は親の所有物ではない。人間はこの世に生を受けた時から1個の存在であり、運命以外は生死を決められない。親は子供を大きな愛情で見守り、幸せを祈る存在であり、無償の愛情を与え続ける。
だから、彼らは決して親ではない。サディストであり、殺人者である。

ゴミ箱に閉じ込め殺めるなんて、犬猫でも可哀想で出来ない行為をとっていながら、またきっと彼らは躾のつもりだったと言い訳をするだろう。
それを思うと腹が立って仕方ない。

前にもブログに書いたが、明らかな故意でない過失でなければ、基本的に人を殺めたら、命を持って償うべきだ。
殺した人数に関係なく、事件後の反省にも関係なく、自首したかどうかに関係なく、非道な行いは極刑でしか償えないと思うがおかしな考えだろうか。
もしも、私が今回のようなケースの犯罪の裁判員に選ばれたら、もちろん十分に話を聞いて上で、被告人が傷害致死で告訴されたとしても可能であれば極刑を量刑したい。

個人の権利を守ることは大事だと思うが、人の命より大事な権利なんてないはずだ。虐待の疑いがあると分かったら、もしも間違いがあっても警察が介入出来るようにして欲しい。それで命が救われるなら。
周りもそれを受け入れる考えに変える必要があるが、及び腰にならず、良い方向に変えて欲しい。


こういう心が痛む事件は、本当になくなってほしい。


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(=^・^=)kinop

2009年7月10日金曜日

ボンド ジェームズ・ボンド

暑〜い。
う〜。
そんな感じの朝だ。
それにしても蒸し暑い。

007は、『ドクター・ノー』から数えて最新作『慰めの報酬』で22作品が制作された。
原作はイアン・フレミングのスパイ小説。ルイス・ギルバートをはじめとした監督がメガホンをとったスパイ映画の王道をいくシリーズだ。


ショーン・コネリー、ジョージ・レイゼンビー、ロジャー・ムーア、ティモシー・ダルトン、ピアーズ・ブロスナン、ダニエル・クレイグと、6人の俳優がジェームズ・ボンドを演じてきた。
音楽はジョン・バリー。あの馴染みのあるメロディーに加えて、毎回ビッグネームが主題曲を歌うのが定番だ。シャーリー・バッシー、マット・モンロー、トム・ジョーンズ、シェリル・クロウ、ポール・マッカートニーなどなど、錚錚たる名前が並ぶ。
007の魅力は、様々な秘密兵器やボンドカー、魅力的なボンドガール、スリルとアクションはもちろんだが、一番はスパイというものへの憬れだろう。ここでいうスパイは実際に暗躍しているような工作活動ではなく、人知れず世界を危機から救うヒーローとしてのスパイであり、そのダンディさやクールさに憬れるのだ。


007はシリーズだが、それぞれの作品の関連性は薄い。だからこそ、主演俳優が変わってもどうにかなるのだろう。ショーン・コネリーのダンディさ、ロジャー・ムーアの洒落っ気、ブロスナンのスマートさとそれぞれの個性でボンドを演じていたが、それなりに上手くはまっていた。もちろん誰でも良い訳ではないが、英国俳優であるという絶対条件を除けば基準はないように思う。


個人的には、やはりショーン・コネリーのボンドが一番かっこいいと思う。『ドクター・ノー』、『ロシアから愛をこめて』、『ゴールドフィンガー』、『007は二度死ぬ』、『サンダーボール作戦』、『ダイヤモンドは永遠に』と6作品に出演した。
カジノに黒のタキシードで現れ、マティーニをシェイクじゃなくステアで頼み、敵のボスとゲームに勝ち、絶世の美女と姿を消す。水戸黄門の印籠ぐらい定番中の定番のシーンだが、これを見たくて映画を観ている人も少なからずいるだろう。
また、あるシーンではウェットスーツにボンベを背負い敵地に進入すると、ウェットスーツを脱ぎ捨てると真っ白なタキシードが現われる。どこからか真っ赤なバラを出して胸にさす。
そんな奴はおらんやろと突っ込みたくなるが、ジェームズ・ボンドでは、そうでなければ、みんながガッカリする。
荒唐無稽だが、だからこそスマートで、クールで、ダンディなジェームズ・ボンドに憬れるのだ。
いわゆるカッチョえ〜といい感覚だ。

だが、ダニエル・クレイグが演じる『カジノ・ロワイヤル』からそういう飾りの部分をなくし、秘密兵器も抑え、生身のボンドが走り回り、格闘するリアルな路線に変更された。
映画を観るまでは如何なものかと心配したが、これはこれで魅力的な映画に仕上がっていた。
この映画ならダニエル・クレイグでなければならないという説得力がある迫力があった。
テーマソングまでエンドロールまで流さないという徹底ぶりが逆に良かったのだろう。
唯一と言って良い前作からの継承は、ジュディ・デンチ演じるMI6の女ボスMである。
彼女のクールさは、今のボンドにもぴったりはまっていた。もしかすると、今後ボンド役は交代しても、Mは彼女でなければならないのかも知れない。

こうみると、007はコードネームだが、ジェームズ・ボンドも映画のコードネームであり、前作にとらわれない映画に付けられた符号のようにも感じる。


ダニエル・クレイグのシリーズは今後も楽しみだが、あの派手なアクションをいつまで続けられるのかが、少し心配だ。


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(=^・^=)kinop

2009年7月9日木曜日

涼〜チリーン


むしむし、じめじめ、朝からなんとも蒸し暑い。
傘を持って行けば良いのか、傘を使わなくて済むのかよく分からない天気の日が続いている。
まあ、梅雨だから当たり前なんだけど、鬱陶しい。

インターネットを眺めていたら、こんな傘を見つけた。
どこかのデザイナーのコンセプトみたいだが、涼しげというか触ってみたくなるデザインだ。
見るからに海を漂うクラゲのようなフォルムに青紫の斑点模様。
夏に食べる水饅頭みたいで、触るとぷにゅぷにゅしてそうだ。
目に涼しい、ユニークなデザインだ。

この時期、目に涼しいといえばどんなものがあるだろうか。

・ビールや清涼飲料水のCM
・たっぷりの水に氷を入れた器に入った素麺(出来れは青々としたもみじが少し浮かべてあれば、もっと良い)
・薄化粧の女性の浴衣姿
・眩しい青空の下にある大樹の木陰
・青々とした流氷

と、思い浮かべると、水、氷、青い色といったものが頭に現われる。
それも、単純に水や氷が良いという訳ではなく、透明のグラスが汗をかき、氷がカリンと小さく音を立てて傾くような情景だから涼しく感じる。
ビールのコマーシャルなんかかんかん照りの真夏の青空の下で真っ黒に日に焼けた男が額に粒の汗を浮かべて、汗をかいたグラスになみなみと注がれたビールを一気に飲んで、かーうまい!と言うのが定番だと思う。
コマーシャルの最後には少しだけスローモーションで、たっぷり張った水にビールの缶が投げ入れられ、商品のロゴとインパクトのあるコピーのナレーション。
これで、完璧にビールが飲みたくなる。
毎年毎年、分かっていながらこういうCMを見ては、ビールを飲んで、テレビのようにかー、うまい!と言っている。
今年の夏も多分、かー、うまい!と言うはずだ。

涼しさは実際の温度よりも、コントラストに左右される。目茶苦茶暑い場面に冷たいビールが出て来るから涼しく感じるのであって、南極でペンギンの横でビールを飲んでも心地良くは思わない。
引き立て役が必要なのだ。

考えると、スーパーヒーローもそうだし、アントニオ猪木もそうだ。
戦う相手がブッチャーやタイガー・ジェット・シンのような極悪・強敵なレスラーだからこそ強く見えるのだ。
要は、メリハリというかコントラストが大事なのだ。
暑い外を汗をかいて歩き、クーラーの効いた店に入った一瞬が涼しく、時間が経つに連れて涼しいという感覚は薄れ、快適とか違う感覚に移行する。

という訳で、今日も脱線に脱線を重ね、アントニオ猪木まで登場したが、涼しさは結構、瞬間的な感覚であって、この奇妙な傘も見た目のインパクトが涼しげに感じるのだろう。

何のこっちゃ?


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(=^・^=)kinop

2009年7月8日水曜日

新人

先週から新人君たちが、研修を終えて職場に帰ってきた。
我が職場に新入社員を迎えたのは、かなり久しぶりの出来事だ。というか私が今の職場に来てから始めての新入社員である。


世の中、不景気であり、我が社も例に漏れず、ここ数年厳しい状況が続いている。この厳しさは、まだ当分の間続きそうだが、今年度は昨年より多くの新入社員を採用した。
採用された新入社員は、即戦力になることを期待され、高専や専門学校の卒業生が多く、この1年は研修やOJTを通して仕事を覚えることになる。
我が社では、IDカードを首からぶら下げるネックストラップにいろんな色のラインがあり、その色で協力会社のSEさんか派遣社員さんか直営社員かどうかなど識別出来るようになっている。経験豊富な大きなプロジェクトのマネージャー経験のある人なら赤とかスキルレベルもある程度分かるようになっている。
で、新人君たちは何色かといえば、薄いグリーン。要するに若葉色の初心者マークだ。こんなことを言うと怒られそうだが、新人が若葉色なら、さしずめ先ほどの赤いストラップは、もみじマークの取扱い注意かも知れない。

私は毎年毎年、新入社員を職場に入れてほしいとお願いしていたが、人を一人増やすためには、養えるだけの体力も必要で育成するための作業も多く、そう簡単な話ではない。
ある意味、子育てと同じ様なところがあり、あと一人子供がほしいが、甲斐性がなければ難しい。新入社員を迎えるのも同じだ。
とはいえ、新入社員が入らない状態が続くと、新陳代謝しない訳だから、職場は老化が進む。会議になると鼻メガネかメガネを外してしかめっ面で資料に目を通す姿が目につく。
そのうち、A4版の資料では誰も見えないからA3版にしないといけないかも知れない。

我が職場に配属された新人君は2名。二人とも男で息子とほぼ同い年。昔、同じ様なことを言われたなと思いながらも、つい「お前が生まれた頃には、もう働いていた」とか、「息子と同い年だ」とか言ってしまう。
言ってから自分のオヤジぶりが嫌になるが、大目にみてほしい。

今は、新人は二人とも一生懸命に仕事を覚えようと謙虚に先輩の話に耳を傾け、自分なりに色々考えて研修成果のレポートをまとめている。このレポートは会社全体の新入社員を集めて発表会をするための物だ。持ち時間10分で説明するとのことで、プレゼンテーションの練習も兼ねている。
やはり、これも子育てと同様、久しぶりの新人なので、職場全体をあげて資料の書き方、話し方を皆であれやこれやとアドバイスしている。
私が思うに、新人なんだから格好つける必要はない。今は、とにかく一生懸命に、積極的に、能動的に、前向きに取組むことが大事で、色々経験して失敗して、いろんなことに気付き、考える力をつけることが大事である。
要領よくやるよりも、試行錯誤する方が身につくし、経験を積むことが将来の財産になるはずだ。
だからこそ、今彼らに大事なことは、白けず熱く前向きなことだ。

彼らとは、まだ一度飲みに行っただけなので、どんなやつだとは、まだ言えないが、頑張ってほしいものだ。

どうもこういう話になると熱くなってしまう。
今日のモブログもちょい長文になってしまった。

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(=^・^=)kinop

2009年7月7日火曜日

あらためてALWAYS

この週末は、月曜日が代休だったため三連休であった。
だからといって取り立てて何かした訳ではない。
まあ、DVDで映画を見たぐらいだ。
新作を1本、あとは昔見た映画ばかりだ。
新作は、24でお馴染みのキーファー・サザーランド主演のサスペンス・ホラー『ミラー』だ。
名前のとおり、鏡がキーになっている。かなりショッキングな映像が多いから、気の弱い人にはお勧め出来ない。
何となく借りてきたが、それなりに楽しめた。

血なまぐさい映画を見たかろ、口直しではないが、あらためて『ALWAYS三丁目の夕日』を1作目と2作目の両方を観た。
やはり、何度観ても良い映画だ。
私の子供時代は年齢的には、もうちょい後になるし、育ったのは大阪市内だから、映画の舞台とは違うが、映画から感じるあの頃の空気は本当に懐かしく思う。
小さな冷蔵庫、ハンドルでしぼる洗濯機、銭湯で飲んだ牛乳、などなど私も知っているというか体験したものが映画にあふれている。
夏になると半ズボンにランニングシャツで友達と野原を走り回った。
あの頃は、大阪市内にも空き地が結構あったし、今のようにテレビゲームなんてなかったから、雨でも降らない限り外で遊んだ。
映画では、クリスマスに万年筆を貰って大喜びするシーンがあり、観ていて顔が綻んでしまうが、私の場合は、回転式の銀色のシャープペンシルだった。
今のようなノック式はまだ珍しかった。シャープペンシルなんて持っていること自体が珍しく、筆箱の中には鉛筆と消しゴムが当たり前だった。
スラッとした銀色のシャープペンシルはクリップの部分は金色だったと思う。大人っぽいデザインが自慢だった。
あのシャープペンシル、どこにいったんだろう。

今は物があふれ、時代も生活も複雑になった。便利になったかも知れないが、多くの不便さも背負い込んでいるように思う。
休みには休み、夜は寝るのが当たり前だったが、年中無休に24時間営業は当たり前、お金を持ち歩かなくても買い物も出来る。
そんな便利な物は何もなかったが、本当に楽しかった。
お母さんにくっついて行った市場、夕暮れの銭湯と帰り道に家族で食べたお好み焼き、公園でみんなとした缶けり。楽しく鮮やかな色をした思い出がたくさんある。
そういう願っても戻らない懐かしい日をこの映画が見せてくれる。
本当に何が幸せなのか、考え直させてくれる映画だ。

たまに観ては、そんなことを思い出す。
良い映画だ。


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(=^・^=)kinop

2009年7月3日金曜日

SMELLIT?






子供の頃に鉄腕アトムを見て、未来を夢見た。
宙に浮き疾走する自動車。
腕時計型のテレビ電話。
透明のチューブの中を走る超特急列車。
などなど、かっこいいなあ、あんな物があれば良いなあ、と思ったものだ。
思い描いた姿とは少し違うが、多くの物が実現化されている。


通信・映像の世界でも著しい進歩を遂げている。
有線の固定網中心だった通信網も携帯電話の普及によるモバイル化や光通信による大容量・高速化が凄い勢いで進んでいる。
テレビもカラーから音声多重、衛星放送、デジタル化、ハイビジョンと進歩し続けている。

こういった技術の進歩には、コンピューターの進歩が大きく関係している。
私が会社に入った時に扱った大型コンピューターが搭載するメモリーは256KBや512KBだった。今でいうハードディスクにあたるディスクパック装置の1スピンドルあたりの容量は29MBだった。少し古いタイプのメインフレームだったが、数百平米のフロアに設置された物であった。
当時は大きなディスクでも100MB程度だった。
それが今やパソコンでもメモリーは1GBが当たり前。ハードディスクも100GBなんて珍しくもない。
数倍どころではなく、数百倍単位の進歩だ。

という訳で、技術の進歩は止ることなく向上しているが、子供の頃に見た未来を感じる機械をネットで見掛けたので紹介したい。まだ、コンセプトの段階なので、世の中に出回るかどうかは分からないが、映像に合わせた匂いを発生させる装置だ。要するに匂いの出るテレビである。

どういう仕掛けかというと、装置の中にいろいろな香りのジェルが入った118個のカートリッジが収められており、DVDの映像に合わせて綺麗されている匂いの情報をトリガーに香りを漂わせるということらしい。
写真のようにピザが映ればピザの香りを漂わせ、花が映れば花の香りを漂わせるといった装置なのだ。
このシステムはDTSならぬDSTと呼ばれている。Digital Smell Technologyの略称である。
このシステムを使えば更に臨場感を感じることが出来るということだが、心地良い香りなら良いが、ドリアンのような匂いのきつそうな映像が画面に映ったら気をつけないといけない。

普及するかどうかは分からないが、今まで目と耳で伝えていた映像の世界に臭覚も加わることは革新的なことである。
例えばコマーシャルに使えば、効果的なPRが出来るだろう。お腹がすいてくる夕方頃に美味しそうな料理の映像に良い香りが漂ってくれば、匂いにつられてその店に出掛けるだろう。
あったら面白そうな装置だ。

早くパナソニックかソニーか発売しないかなあ。


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(=^・^=)kinop

2009年7月1日水曜日

夢のシュルポン・アンブレラ

最近、明日は100%雨と予報が出るが、翌朝は晴れ。
少しずれて雨が降り出す。
持って来た大きな傘が邪魔になるが、お天気なんてそんなものと諦めているが、梅雨は本当に鬱陶しい。
早く梅雨開けになってほしい。

昨日、会社で傘について話をしたのだが、ワンタッチで開く傘はあるが、ワンタッチでシュルシュルっと折り畳んでくれる傘があれば便利だということを話した。 折り畳み傘はコンパクトで、鞄の中に入れて持ち運べて、不意の雨に遭った時には役立つが、コンパクトにするため、傘の骨が中折れになっていて、傘を畳む時は必ずコンパクトな状態にしなければならない。 傘がまだビチャビチャの状態で畳まなければならず、あまり気持ちの良いものじゃないし、見た目にもスマートじゃない。
では、大きな傘はといえば、雨が降っていない時は邪魔になるし、晴れると忘れることも多い。
どちらも一長一短があり、理想的な傘はまだ存在しない。

先日、凄い風速にも耐えられる傘というのをテレビで紹介していたが、風速数十メートルの雨を浴びながら、レポーターが「傘はまだ壊れません」と言っていたのを聞いて笑ってしまった。 傘が壊れないのは確かに凄いが、びしょ濡れだし、そんな風速の雨の日に外を歩くことが、人生に何度あるのかと考えると何が素晴らしいのかさっぱり分からなかった。

で、ああいうのはどうだ、こういうのが良いんじゃないかと雑談したが中々現実的な案はなく、笑える案しか出なかった。
例えば、全身に撥水スプレーをふれば良いんじゃないかという案があった。雨を弾くスプレーを全身にふれば、どんな雨が降っても大丈夫だということだが、幾つかの問題が残る。 まず、頭はどうするかということだ。この案は服は守れるが、肝心な人間のことは考慮されていないという致命的な問題がある。
そこで出た修正案というか補強案が、顔には車のフロントガラスに塗る撥水剤を塗れば良いんじゃないかという案だ。 有害か無害かという話は置いたとしても、やはり問題が幾つかある。 撥水剤を使われた人はご存じだと思うが、撥水効果を実感するためには、時速60kmを超えるスピードで歩かなければならない。 また、頭には塗れないからヘルメットが必要だし、目にもやはり塗れないからゴーグルも必要だ。
全身に撥水スプレーをふり、頭にヘルメット、顔に撥水剤を塗り、ゴーグルをはめて、時速60kmの猛スピードで疾走する。 そこまでして外出したくないし、スーパーマンでもなければ不可能だ。

やはり特別なことをせずに効果を発揮出来る案でないと実現性がない。
という訳で、やはりシュルシュル一発折り畳み傘が発明されれば、素晴らしいという話になった。

何のこっちゃと思われるかも知れないが、鬱陶しい梅雨をネタに少しだけ楽しんだ他愛もない雑談だ。

発明は日常の不便さから生まれるものだ。と、誰かが言っていたように思う。
夢のシュルポン・アンブレラ。誰か発明してくれないものか。


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(=^・^=)kinop

2009年6月29日月曜日

永遠のスター



最近、蒸し暑い日が多くなった。
昨日はどこか忘れたけど35℃を超えた所もあったそうだ。
我が家のTORAもフローリングの床に長く伸びて暑さを凌いでいる。本当に暑そうだ。

マイケル・ジャクソンの死は残念だった。多くのファンの願いが叶うことなく天国に召された。
ビッグスターだから早死にするとは限らないが、マイケル・ジャクソンのようなレベルのスターが亡くなると、衝撃も大きく、死後も生前の逸話が伝説化される。
不慮の事故、病気、自殺など亡くなった理由は違えども、皆一応にそうなってしまう。
ジェームズ・ディーンはたった3本の映画に出演し、自身が操るスパイダーで事故死し、伝説のスターとなった。
アイルトン・セナは、低迷する古巣マクラーレンから勝利を求めてウィリアムズに移籍し、サンマリノ・グランプリで時速200kmを超えるスピードで激突死した。母国ブラジルでは、国葬扱いで彼の死を悲しんだ。
自宅前で偏執的なファンに射殺されたジョン・レノン、謎めいた死を遂げたマリリン・モンロー、などなど不慮の死を遂げた後も彼らの話は尽きることなく語られ、本や映画化され神格化していく。
スティーブ・マックイーン、リバー・フェニックス、エルビス・プレスリー、ヒース・レジャー、ジュディ・ガーランド、ジミー・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ブルース・リー・・・
皆一応に伝説となったスターだ。
ブルース・リーが日本で騒がれたのは、彼の死後だ。本人が既に他界しているから、彼の新しい映画を観たくても存在しない。死亡遊戯という映画は撮影済みの限られた映像をどうにか編集で補い、公開された。
彼の息子ブランドン・リーも父の意志を継いでアクションスターとして活躍し、大スターの階段を上り始めた矢先、事故で亡くなった。

運命とは皮肉なものだが、皮肉だからこそ神格化、伝説化され、永遠の存在になるのだろう。

マイケル・ジャクソンは、波乱に満ちた生涯の幕を下ろし、冥界に旅立った。
彼もまた伝説のスターとして皆の心に生き続けるだろう。
早逝は悲しいことだが、痛々しかったマイケル・ジャクソンの姿を見ていたので、やっと彼に平安が訪れたようにも思う。

私のような凡人には理解出来ない世界を生きてきた彼ら。
また、一人、永遠のスターが夜空に瞬く。

因みに、同じ時にチャンリーズエンジェルのファラ・フォーセット・メジャーズも癌と闘い続けていたが、願い叶わずライアン・オニールに看とられ亡くなられた。
彼女もまた夜空に輝くことだろう。


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(=^・^=)kinop

2009年6月26日金曜日

マイケル・ジャクソン大丈夫か



今朝、いつもはめざましテレビを観ているが、珍しくズームイン朝を観た。
ズームインだからということはないと思うが、マイケル・ジャクソンが、心肺停止で病院に緊急搬送されたと伝えていた。一部の報道では既に死亡したとも言われており、詳細はまだ明らかではないが、あまり良い状態ではなさそうだ。
衝撃的なニュースだが、マイケル・ジャクソンには何かそういうことがあってもおかしくないイメージがある。
度重なる整形に異常に白い顔。児童の問題。奇行の数々。
スーパースターゆえの孤独からか、常に精神的に限界の状態でいたのではなかったかと勝手に想像してしまう。
全然タイプが違うけど、カレン・カーペンターが拒食症で亡くなったことを思い出した。スーパースターにしかない孤独や苦悩があるのだろうか。それとも、そういう運命が用意されているのかと、よく言われるが、スーパースターだけが悲運にあい、普通の人だから平凡な一生を全うするわけではない。注目のされ方が、比べ物にならないほど違うからだ。
だから、マイケル・ジャクソンも同じ人間。ただ単純に孤独のまま亡くなるのは、可哀想に思う。いろいろと世間を騒がせた人だが、今回は良い方向に向かうことを期待するばかりだ。

さあ!今日は金曜日。
楽しい週末になるか、ガンポン君に日曜日の出勤を頼まれるか。
先週は出勤しただけに休みたいなあ。

∧-∧
(=^・^=)kinop

2009年6月25日木曜日

おお盛り上がり



昨日のブログに書いたように昨晩は送別会があった。
部長、バッちゃん、ミッキー君の送別会だ。
バッちゃんは俺はエロおやじじゃないと宣い、ミッキー君は決して真面目じゃないと記事を修正してほしいと抗議したが、彼らを知る人は皆一応に記事の公正さに納得しており、上告棄却と相成った。
まあ、昨日のブログは十分送別会のネタになったようで良かったかな。

送別会では、お決まりの感謝の言葉や送られる方々のご挨拶はあったが、それに加えて、ハグ大会が行われた。
送別会だからハグがあってもおかしくはないが、ちょっとした経緯があってハグ大会となったのだ。
以前、トラブルの関係でちょっとした行き違いで、オーさんとテラリンが職場のど真ん中で、取っ組み合いになりそうな怒鳴りあいをした。1分あるかないかの短い喧嘩だったから、止めようとしたやっぱり短気なジュンちゃんが駆け付けた時には終わってしまっていた。止めようとしていたはずだが、どことなく残念そうなジュンちゃんの顔が印象に残っている。
そういう賑やかな喧嘩は滅多にないから周りもザワザワ。なんやなんやと騒ぎにはなったが、あまりにも短かすぎて見逃したと残念がる人も多くいた。
で、騒がすだけ騒がして当の本人達はこっそりお茶を飲みに行って、夕方には仲直りしていた。想像するにこんな感じだったと思う。

オーさん:テラリンさっきはごめんな。
テラリン:いや僕の方こそごめんな。ちょっとイライラしてて、オーちゃん。

オーさん:いや、僕がわるかってん。
テラリン:いや、僕やて。

オーさん:それにしても、このクリームソーダ美味しいなあ。
テラリン:ほんまやな。また、こよな。

※中学1年生になった気持ちで読んで欲しい。

と、想像だがこんな感じで仲直りしたに違いない。
本人達は良いけど、あれほど騒がしておいて、勝手に仲直りするというのは道理が通らないと思い、みんなに職場での喧嘩のルールをメールした。
メールには、みんなを騒がして喧嘩をした時には、喧嘩をした当事者どうしが、部長の前でハグすることと書いた。

ちょっと長くなったが、そういう経緯で、送別会ではテラリン、オーさんだけでなく、誰やかれやとハグ大会になったのだ。
いいオッさんどうしが、抱き合ってるわけだが、これが面白かった。変な話だが、スキンシップは大事だなあとあらためて思った。
これもオーさんとテラリンのお陰だ。

で、本題の送別会だが、部長とじっくり話する機会もなかったので、いろいろ話が出来て良かった。部長は飲みに行って仕事の話をするのはお嫌いなので、それも良かったが、送別会だというのが残念だ。
バッちゃんは、マサ御大に最後のお説教を受け、笑いながら怒る人ミッキー君は怒ることもなく、みんなでワイワイと楽しい送別会だった。
幹事さんは本当にご苦労様でした。

一次会の後、部長やバッちゃん、ミッキー君、マサ御大、モリリン課長、オーさんと猫オヤジ、フルピョン、などなど大勢で二次会に行った。うちの職場の元課長のダイサクさんも一緒だった。
言い出しっぺは私だったが、優しいオーさんに満席の店に交渉してもらって近くにある同じチェーン店の席を確保してもらい、支払いもオーさんにしてもらった。オーさんには、失礼なことをしたが、まあたまには甘えても良いか。(^-^)
※写真が心優しいオーさんだ。

二次会は二次会で、送別会にはほとんど関係ないエロ話。ちょっとブログには書けない内容ばかりだ。俺はエロおやじじゃないと言っていたバッちゃんが一番楽しそうに話していた。
部長もどうやら、バッちゃんが、真面目で不真面目なエロおやじというのがぴったりで的確な紹介だということを理解されたようだ。

という訳で、楽しい良い送別会だったと思う。
みなさん体には気をつけていただきたい。
あらためて、ありがとうございました。

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(=^・^=)kinop

2009年6月24日水曜日

贈る言葉


今日は送別会。
部長と同僚2人の送別会だ。
場所は行き着けの居酒屋さん。

同僚2人とは結構長い付き合いで、8年ぐらいになる。
部長は兼務されていたこともあり、実際に同じフロアに机を並べて仕事をしたのは1年に満たない。

部長は管理者の中では一番背が高く迫力のある人で、押しも利く頼り甲斐がある人だ。かと言って、口うるさく怒鳴ることもない。
信頼していただいているからだとは思っている。気になる点は、アドバイスや注意をしていただくが、後は良きにはからえだ。
話好きでたまにウロウロと職場を歩かれ、他愛もない話をして、コミュニケーションをとられる。
部長と比べたりするのは失礼だが、私も部長と同じで、日にもよるがSEさんの席や何やと話すようにしている。だから自慢じゃないが、SEの名前を一番知っているのは私だと思う。
普段から普通の話も出来ないやつは、仕事の話も出来ない。なあなあはいけないが、仲良くなければ仕事なんて上手くいきっこない。逆に良く話をしていれば、どんな考えを持っているか分かってもらえるし、はっきりとものも言える。
品質管理、進捗管理、リスク管理が大事だというのは当たり前だが、コミュニケーションできないと機能しない。人と話せてなんぼの世界だ。
話が脱線したが、そういう意味で部長は良い部長だったと思っている。
一緒に仕事をさせていただいた期間が短かったのが残念だ。願わくばまだまだ残っていただきたい。
会社のイベントでは、一番迫力がある部長がおられなくなるのは寂しい限りだ。

同僚の2人は、年下だが、今の職場は私より古くからいる。
バッちゃんは、真面目なのか不真面目なのか分からない変わったやつだ。ただ、エロいことだけは間違いない。
何か頼まれたら細かいことまで気になるらしく、深堀していくタイプだ。自分で調べたり勉強する姿勢は感心する。私には真似できない真面目さだ。
かと思えば下ネタ大好きのエロおやじぶり。
いったいあいつは、真面目なのか不真面目なのか。
能力は高いが、好き嫌い、思い込みで力を発揮出来ていない気がする。
次の職場では、もうちょい大人になって頑張ってほしいものだ。

もう一人のミッキー君は、顔はいつも笑顔だが、自分が正しいと思えば、恐い先輩であろうが、誰であろうが真っ赤な顔して、納得いくまで立ち向かう。
小さな体に笑顔のミッキー君は、見た目と違い、ファイターなのだ。
昔、竹中直人が笑いながら怒る人というネタをやっていたが、ミッキー君はその実写版である。
職場の中でも1、2を争う真面目な男で、やり抜く気概もあり、バッちゃん同様一生懸命に努力する姿勢は素晴らしい。
あとは、真っ直ぐ前だけばかり見ずに思い込みにはまらなければ良い方向に伸びると思う。
大分と意識しているのは感じるから、あともうちょいだ。

仲間が減るのは寂しいが、能力を買われての転勤と、長年ご苦労されて新たな道に進まれる門出のお祝いだ。
今日は、大いに飲んで話ができればと思う。


みなさん、ご苦労様でした。いろいろありがとうございました。
体には気をつけて、新しい場所でのご活躍をお祈りしています。


∧-∧
(=^・^=)kinop

2009年6月23日火曜日

役立つ猫覚まし


今朝は、目覚まし時計の役割でもある携帯電話に、ふとんがかぶさっており、目覚ましの役目を果たさなかった。
TORAには聞こえたのか、ベッドにやって来て、にゃあにゃあ。TORAのお陰で寝坊せずに済んだ。本当にお前は、気が利く猫だ。
でも、休みの日には気持ちよく寝ていたら、にゃあにゃあ鳴いて早く遊んでくれと起こされることもあるから起きてほしいだけのような気もするが。

今日は、KISSを聴きながら出勤だ。

Beth
Love Gun
I Was Made For Lovin' You
Strutter

などなど、お馴染みの曲のベスト盤だ。
♪I Was Made For Lovin' You Baby〜
良いなあ、KISSは。

2009年6月22日月曜日

謎のピアノマン

サンケイ新聞のホームページで面白い記事を目にした。

東京では、ビックカメラや高島屋の電子ピアノ売り場にホームレス風の謎のピアノマンが現われ、すごいテクニックを披露し、リサイタルのような状態になっているそうだ。
巧みな指運びでめまぐるしく曲調の変わる曲を弾き、通りかかる人はその凄さに思わず足を止めて聴き入ってしまう。
男性は、真野和男さん77歳。
平日は、ほぼ毎日、都内の家電量販店で自作の曲を演奏している。自宅には楽器はないそうで、家電店に来ては練習も兼ねて演奏している。
平成17年にリリースした自作自演のCDも売り場でMDに録音したという。
家電店で毎日電子ピアノを弾くようになって8年ぐらいだが、弾き始めた頃からたどると40年以上だという。

真野さんは太平洋戦争直後、食べ物にも困る状況で、高校卒業後は知り合いの紹介で米軍基地に勤め始めた。教会で聖歌隊の合唱の指揮をしたり、基地内のクラブで弾いたりし、アメリカの音楽に触れたのがこの時期だ。
その後、希望だった音大に入学するが、望んでいた音楽を教えてもらえないことが分かり、中途退学。
退学後は、作・編曲、バンド活動や音楽イベントの企画、音楽教室での指導に楽器のリース業など様々な活躍をされた。
高級車を乗り回したり、ホテルのバーに20本ものボトルをキープする派手な生活を送り、株でもかなりもうけたそうだ。プライベートでは、3回の結婚と3回の離婚を経験。
48歳で突如、ぜんそくを患い、療養のために八丈島で暮らし、東京に戻って来た時には、すでに60代半ばだった。
音楽への思いは強く、慣れ親しんだ電子ピアノ売り場へ舞い戻ったそうだ。

真野さんは売り場で弾く理由をこう語る。
「山寺で1人静かに弾いていたってだめ、音楽の原点は路上で聞かせること」。
音楽の楽しさを伝えたい強い思いが、電子ピアノ売り場で弾く理由なのだ。
店の迷惑も考えて、1店舗1時間半くらいまでと決め、午前中はベスト電器新宿高島屋店、午後はビックカメラ有楽町店本館、夕方はビックカメラ新宿西口店と場所を変えてピアノを弾いている。
しかし、お店にとっては真野さんに毎日来て欲しい存在になっているようで、ビックカメラの店長のお話では、真野さん目当てで来店する人も少なからずいるらしく、できることなら毎日来て欲しいぐらいだそうだ。
真野さんは、電子ピアノの良さを理解しているから、100台以上はお客さんにピアノを紹介し、大勢の人が実際に電子ピアノを買っている。
店員にもお客さんにもファンは多く、もっと多くの人に彼の曲を聴いてほしいと願っている。

どうだろうか。
いやなニュースばかりを耳にすると、こういう良い話を聞くと嬉しくなってしまう。
これからも元気でピアノを弾いて欲しいものだ。

サンケイのページでは、真野さんの曲も聴けるので、是非ニュースに目を通して欲しい。

2009年6月21日日曜日

裁判員制度に思うこと

ここ最近はブログの更新も滞りがち。月1回のペースに落ちている。
筆が進まないというか、携帯のキーを押す気にならない。
生きているからいろんなこともあるし、感じることもあるが、悲しい話が多すぎる。
笑える話もあるが、次の瞬間に笑顔も消えてしまう。

通り魔殺人の犯人は法廷で人を殺すのは蚊を殺すのと同じこと、ライオンがシマウマを食べるのに理由がいるのかと反論した。
西淀川の少女の虐待死は、躾にかこつけて、何の罪もない幼い命を奪った。
つい先日にも、大阪でふられた逆恨みで男子高校生がバットで撲殺された。殺された少年は、頭蓋骨が何か所も陥没骨折しており、バットが折れるほど何度も強い力で僕打したらしい。

そういう犯罪は、極一部だというのは理解しているが、耳にすると何ともやりきれない気分になる。
通り魔殺人犯の男は、死刑になりたいから人を殺したという。自ら命を絶つのは恐ろしいから死刑になりたかったから、面白いゲームがなくなったから犯行の時期がきたとも言っている。
身勝手な理由で殺された人は浮かばれないのはもちろんだが、残されたご遺族の気持ちは察することも出来ない怒りや無念さがあるだろう。
殺人犯は、多分望みどおり極刑に処されるはずだ。犯罪を犯した人間の望みが叶い、罪なき被害者は将来を絶たれ、ご遺族は大きな悲しみをこの後も背負っていかなければならない。

死 刑の是非が論じられるが、私は基本的に存続すべきだと思っている。人の命を奪った罪は、命でしか償えないからだ。だから、1人殺しただけでは死刑になりに くいというのも理解し難いし、自首すれば極刑を免れるというのも納得出来ない。実際に闇サイト殺人事件では、死刑になりたくないからという理由で自首した 犯人は死刑を免れる判決が言い渡された。

目には目を、歯には歯をが望ましいとは言わないが、鬼畜の犯罪には、同じ苦しみを味あわせたいと思うのが人情だと思う。
通り魔殺人犯には、死刑が如何に苦しく楽に死ねるものではないことを理解させ、恐怖に怯えながら刑に処されることを願う。
人の死を願うとは、何ともやりきれないが、こういう犯罪が皆無になることはないだろうから、また同じ様な犯罪が起これば、やはり同じ様に思うはずだ。

裁判員制度がいよいよスタートしたが、この制度では有罪・無罪の判断だけでなく、量刑についても裁判員が関わることになる。
難しい事件もあり、何もかも上手く運ばないとは思うが、陰惨で残虐・残酷な事件には、一般的な国民感情を反映し、被害者や遺族の気持ちを思う正当な判決が増えることを期待する。
少なくとも、1人だから、自首したから、反省しているからという数や事後に重きを置いた判決はなくなってほしいものだ。
冤罪の問題も危惧されるが、プロの判事との組み合わせで、冷静に正当な判決がくだされると期待する。

とにかく、気の滅入る悲しい事件はなくなってほしいものだ。