2010年8月30日月曜日

24時間テレビを見て思った日本の良さ




この週末は、8月最後、夏休み最後の週末だった。
処暑を過ぎてもまだまだ暑い週末だった。
我が家のTORAもこの通り。
ベッドの上で長くなって暑さを凌いでいた。

そんな暑かった週末に、今年も24時間テレビが放送された。
毎年恒例になった番組も33回目の放送だそうだ。
今年のテーマは、「ありがとう」。
普段伝えていない「ありがとう」を伝えたい人は、誰ですか?
というシンプルなテーマだ。

番組では、難病と闘っている人達、障害に負けずいきいきと挑戦している人達、若くして病に掛かり最期まで諦めなかった人達など、勇気を持って生きてきた人達の様々なエピソードを見せてくれた。
テーマは毎年違うけれど、力強く生きてきた人達のエピソードに感動し、涙が頬をつたうのも毎年恒例のことだ。
メイン・パーソナリティは、TOKIOと今をときめくAKB48。
24時間マラソンは、はるな愛さん。
今年も多くの募金が集まり、福祉に役立てられることだろう。

この番組ではるな愛さんがランナーに選ばれたことで、日本は良い国だなあと実感した。
はるな愛さんは、性転換をしたいわゆるニューハーフの方である。
精神的な性と肉体的な性が不一致なため、性転換をして女性として芸能界で活躍されている。
精神と肉体の性の不一致は、先天的な障害なのかも知れないが、肉体的な問題がないことや、不一致になる人が極めて少数であることから、偏見を持って見られることも多かっただろう。
今でも、そういった偏見はあるのかも知れないが、多くの人は受け入れる傾向にあると思う。
その証拠が、この国民的な人気番組にマラソン・ランナーにはるな愛さんが選ばれた事実である。
海外のことはよくは知らないが、はるな愛さんのようなニューハーフの方が大きなイベントでメインの扱いをされたことがあったんだろうか。
おそらく日本のような扱われ方はないように思う。
24時間にも渡って、チャリティー番組を放送して、募金を集めること自体が珍しいのかも知れない。

外国では、ゲイやレズなどの同性愛者や性的な障害に対する理解は進んでいるのかもしれないが、日本のような個々の個性に対する寛容さは低いようにも思える。
言葉ではなく事実として、はるな愛さんを人間として見て、テレビの前で応援していた人がほとんどで、ニューハーフだからという見方をした人は少なかったんじゃないだろうか。
個人を思いやり尊重する世の中になってきたからこそ、違和感もなく受け入れられている。
「あー、今年は愛ちゃんか。頑張ってほしいなあ。」と思う人がほとんどだろう。

心優しく個々の個性の個性を尊重する世の中。
日本は良い国だなあと思った。
感動的なエピソードも素晴らしかったが、そういう良い国に生まれて幸せだなあと感じた週末だった。


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2010年8月26日木曜日

まんが日本昔ばなし





「むかーし、ある村に利助という、たいそう親孝行の若者がおったそうな。…」

の語りで始まる『まんが日本昔ばなし』。
子供だけでなく、大人も楽しめる良質なテレビ番組があった。
毎日放送制作でTBS系列で放映された長寿番組である。
初回放送が1975年で全国ネットの放送では1994年まで放送された。
全国ネットでは39シリーズ、952回放送され、視聴率の低迷により、その後は毎日放送によるローカル放映に移行した。
途中休止や過去作品の再放送を行いながら2006年まで放送された。
今もなお放送を望む声も多く、DVD化の要望も毎日放送の掲示板に多く寄せられている。
DVD化は権利関係の問題があって、中々難しいようで、魅力的で膨大なコンテンツが眠っているのは勿体無い限りだ。

番組の監修には、月光仮面や森進一のおふくろさん騒動で怒っていた川内康範が携わっている。
一話一話の作品毎にトップクラスのイラストレーターやアニメーターに制作を依頼し、音楽もジャンルに囚われず作品にマッチした曲を採用した。
そして、なんと言っても語りを担当した市原悦子さんと常田富士男さんの存在が番組の成功に大きく寄与した。
老人から青年、子供、男女、農民、侍、金持ちから貧乏人、山姥や鬼などなど、ありとあらゆる役を二人で演じた。
個性的で独特の雰囲気を持つお二人だが、さすが一流の役者と感嘆させられる演技で作品のグレードは高い完成度に仕上がっていた。
作品の影響で日本広告機構の『もったいないお化け』のCMも制作された。
人気がピークだった1980年代前半には30%を超える視聴率があったそうだ。

作品を支えているのは素晴らしいスタッフやキャストだけではない。
日本には古くから伝えられた伝承話が数多くあったことだ。
952回を超える作品を作るためには2000話に及ぶ物語が必要であり、内容が面白い物となると更に多くの物語から選ばれて作品になっているだろう。
それだけ多くの伝承話が存在すること自体が凄いことだ。
金太郎、桃太郎、さるかに合戦、かちかち山やしたきり雀などのメジャーな物語だけでなく、どこかの県の山村に伝わる妖怪話や奇譚など、微笑ましい物から怪談まで幅広いジャンルの伝承が存在する。
伝承話には、教訓や戒めが込められているものが多く、説教するのではなく、物語を読み聞かせることで、自分で考えさせるという、とても利にかなっている。
子供に欲が過ぎると良いことはないと言って聞かせてもピンとこないが、こぶとり爺さんの話を聞けば、説教することなく強欲は良くないと感じるだろう。
山に住む鬼や山姥の寓話も、危険な場所に一人で行ってはいけないという警告であり、子供を危険から守る知恵でもある。
だから、むかし話は全てハッピーエンドではなく、理解出来ない理不尽な話も多い。

『十六人谷』というお話が中々怖い。
昔々、ある山村に住む木こりの青年が謎めいた美しい女性から山にある柳の大木を切らないように頼まれる。
そんな出来事があり、いく日か経ったある日、村の木こり仲間と山の木を切りに山に入って行くことになった。
木を切りながら、奥に進んで行くと謎の女が言っていた立派な柳の大木を見つけた。
立派な木を目にした木こり達は、若者の言うことに聞く耳を持たず、大木を切り倒してしまうのであった。
山小屋に戻った木こり達は大木を手に入れたことに浮かれて、酒盛りをして、疲れのせいか早く眠ってしまった。
真夜中、物音に気付き若者が目を覚ますと、あの謎の女が木こり達の口に吸い付き舌を食いちぎっていた。
女は凄い形相で若者に、「あなたは良い人だと思ったのに、なぜ柳の木を切った。」と問いかけるのであった。
あまりの恐ろしさに、若者は慌てて山を駆け下り、命拾いをした。
今や老人となった若者は、そんな昔体験した話を家を訪ねてきた若い女性に話すのであった。
明る朝、老人の世話をしに近所のおかみさんが食事を持って、老人の家にやって来た。
おかみさんが戸を開けると、恍惚とした表情で舌を食いちぎられて死んでいる老人の姿があった。

女性が何者だったかも明かされず、謎のままお話は終わる。
神秘的な物に対する恐怖や畏敬の念を伝えるお話だ。
気の弱い子供ならトラウマになりそうなお話である。
怖いだけでなく、色々と考えさせるお話だ。

こんな感じで、昔ばなしには深い意味を込めたお話が沢山ある。
今の時代には視聴率が取れないのかも知れないが、子供達に見せてあげたい素晴らしい番組だった。


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2010年8月25日水曜日

猫 Love & Peace








私は猫が大好きである。
動物は全般好きだが、特に猫が好きだ。
犬も飼っていたので、犬の素晴らしさも分かっているが、一番はと聞かれると、やはり猫が一番である。

現在も一匹の猫が我が家にいる。
ブログのアイコンにもしている茶トラの猫のTORAだ。
我が家に来て10年は経っている猫だが、食器棚の上に乗ったり、たまに走り回るから、まだまだ元気だ。
このまま、ずっと元気でいてほしい。

猫の何が良いかというと、先ずは見た目が好きだ。
まんまるの頭にまんまるの目、柔らかな毛に覆われていて、体型は曲線的。
前足を揃えて座ったときのバランスの良いフォルム。
ビー玉のように透き通った大きな目。
見ていて飽きない魅力がある。
特に好きなのは顎から首にかけての柔らかな部分だ。
背中とは違う一層繊細で柔らかな毛が気持ち良い。

性格も好きだ。
私はB型なので、我が道を行くタイプだから似ているのかも知れないが、人の指図に簡単には従わない。
やりたいことだけする。
甘えたい時に甘え、一人でいたい時は一人で過ごす。
気乗りがしなければ、誰が呼ぼうが知らんぷり。
兎に角、自由でマイペース。
あの自由さに憧れる。

と、見た目の行動だけを判断すると、そんな冷たい動物のどこが良いのかと、親犬派の人達に言われそうだが、直接的な愛情表現をしないだけで、飼い主との絆は深い。
よくあったのは、家族で些細なことでケンカになった時や息子のことで怒鳴りつけた時のことだ。
息子が筋の違う感謝のない考えで行動した事があり、堪忍袋の緒が切れて、大声で怒鳴りつけた事が何度かある。
そんな時は、必ずと言っていいほど、TORAが仲裁に入る。
ただならぬ雰囲気を感じ取って、息子と私の間に座ってじっと私の顔を覗き込んでくる。
何怒ってんの?という感じだ。
頭に血がのぼっていた私もハッと我に返る。
猫は平和を好むようで、ケンカをしたり、怒鳴っているのは落ち着かないから、いつもと違う空気を感じ取って、心配そうに顔を覗き込む。
「Love & Peace だよお父さん」と言われているような気になる。
犬も同じように飼い主の事を心配してくれるが、感情表現の仕方が違うのだ。
家に帰った時もドアを開けたら、必ずと言っていいほど玄関で待っている。
ドアをカチャカチャさわる前に察知しないと玄関には来れない筈だ。
一見、空気を読む気がないように思える猫だが、雰囲気や空気を読む能力は驚くほどだ。

たまに顔を見にやって来て、また違う場所に行き、寝ているのかと思えば、走り回っている。
平安の中で思うように自由に生きる。
それが猫のモットーなんだろう。




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2010年8月24日火曜日

処暑





暦では、8月23日は「処暑」。
朝夕は少し涼しくなる頃らしいが、この調子じゃお彼岸の頃までは、まだまだ暑い日が続きそうだ。
暑さ寒さも彼岸までということだ。

しょ しょ 1【処暑】
二十四節気の一。太陽の黄経が150度の時,現行の太陽暦の8月23日の頃。暑さがやむの意で,朝夕しだいに冷気が加わってくる。七月中気。

大辞林 第三版

我が家のTORAもご覧の通り、暑さのせいで、この状態。
涼しい場所を見つけては、長くなって寝そべっている。
お年寄りは喉の渇きや温度に対して、感覚が鈍っている人もいるらしく、水を飲まなかったり、重ね着をして熱中症でお亡くなりになるケースも少なからずあるようだ。
お茶や水をとって涼しい場所で過ごせるよう周りが気にしてあげれれば良いが、一人暮らしのお年寄りは近隣の人が気にしてあげなければならないのが実状だ。

子供の頃を思い出すと、クーラーはなかったし、今のようにスーパーや量販店なんてものもなかった。
ちょっと涼みに行こうかなんてこともなかった。
打ち水に扇風機、プールに行って涼んでいた。
今より涼しかった訳でもないし、35℃を超えることもあった。
熱中症になる人もいたかも知れないが、昔は日射病とは言っても熱中症なんて言葉を耳にすることはなかった。
私も含めて、クーラーのある便利な生活に慣れてしまって、無意識に暑さを凌ぐ術を忘れてしまったのかも知れない。

ランニングシャツに半ズボン。
サンダル履いて、友達と公園を駆け回り、大きな木の木陰で涼んだ覚えがある。
家にテレビゲームがある訳もなく、遊ぶのは外。
学校から帰ったら、ランドセルを置いて、行ってきまーすが当たり前。
陽がくれるまで、友達と缶けりやビー玉じゃなんじゃと遊んでいた。
夏は楽しかった思い出ばかりだ。
お寺で観たまんが映画の上映会、夏祭りに林間学校。
ちっとも涼しくなかったが、あの頃の夏は楽しかったなあ。


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2010年8月23日月曜日

児童虐待防止CM

児童虐待防止を訴えるCMがつい最近放送されるようになった。
「間違っても良いからかけてください。」の呼びかけは、とても素晴らしいことだと評価したい。
プライバシーや縦割り行政の問題でこれまで多くの子供達のSOSに目を瞑ってきた。
救われなかった多くの子供達の無念さを思うと遅いぐらいだ。

1歳、2歳の子供をゴミだらけの部屋に置き去りにし、餓死させた母親。
同居人の男性の殴る蹴るの暴行を黙認し、ベランダへ放り出し、食べる物もろくに与えず、死んだ子供を遺棄した母親。
こういうニュースを目にする機会が増えている。
将来の夢を持って、周りの人達から愛情を受け、すくすく育つ時期に虐待を受け、未来を絶たれることに怒り以上の憤りを感じる。

CMで西田敏行さんが話しかけるように間違っていたとしても通報することは大事なことだと思う。
通報を受けた後、迅速に適切な対応をする仕組みや体制が整っていることを信じたい。



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2010年8月20日金曜日

まどろむ




最近、暑い日が続いている。
熱中症でお亡くなりになった方も大勢いると聞く。
キャベツや山葵など比較的寒冷な気候に適した野菜も芯が腐るなどして不作だそうだ。
いつになったらもう少し涼しくなるのやら。
因みにラニーニャ現象の影響で冬場は逆に寒くなるそうだ。
また、知ったかぶった人間が異常気象と騒ぐのだろうか。

この暑い夏には相応しくないが、好きな表現の言葉がある。
ゆったりしている時にうたた寝をすることがある。
そういう時に少し眠ることを「まどろむ」と言う。
円やかな音が良いし、言葉を聞いただけでリラックスしていて、ゆったりした情景が浮かんでくる。
休日の昼下がり、居間の椅子に腰掛けウィスキーの入ったグラスを傾けるような某ウイスキー会社のCMみたいな情景だ。

漢字で書くとまた良い。

ま どろ・む 3【〈微睡〉む】
(動マ五)
①ちょっとの間眠る。仮眠する。「木陰で—・む」
②眠る。熟睡する。「わかき人は何心なく,いとよう—・みたるべし/源氏空蟬」

大辞林 第三版

「微かに睡る」ということだ。
ねむるは、睡と眠があるが、どちらも意味は同じようで、「睡」は、目(まぶた)が垂れるという字である。
会社帰りに疲れて居眠りをするサラリーマンは大勢いるが、まどろむ時間を持てる人はどれだけいるのだろう。

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