2010年1月14日木曜日

疑心暗鬼





昨年末から寒い日が続いている。温暖化とはいうが、長い長い期間で見ると寒冷な時代であり、その中でも比較的に温かな間氷期なんだそうだ。
最近、何でもかんでもエコだ省エネと騒がしいし、健康面も喫煙は罪悪で会社でも万歩計を配ってランキングまでつけている。
個人情報保護もやり過ぎているようにも思え、コンプライアンスもやたら厳しい。誰も困ってもいない事でも厳し過ぎるルールが足枷になる。守ってもらう立場の請負先がルールのためにヒーヒー言っている。
最近はあまり言わなくなったが、抗菌グッズもここ10年ぐらいじゃなかろうか。

と、つらつらとぼやいてしまったが、やり過ぎは良くないと思う。世の中の仕組みが発達して情報が電子化されて、目に見えにくくなり、伝わっていく速度が極端に早くなったせいだと思うけど、もう少しおおらかにはならないものかと思う。

自然の世界には当然ながらお金がないから不況もない。価値観はあるが、種族を守るための優位性といった生き続けるための価値観だ。
不況も好景気も心が生むもの。景気が良いと皆が思えばそうなるし、不景気だと思えばやはり財布の紐も固くなる。
企業の合理化や経費削減は短期的に見れば良いのかもしれないが、企業に働く人や関連する人達は潤うことなく、厳しい世の中だと思ってしまう。そうなると当然ながら将来の不安は大きくなり、お金も使わない。お金が流通しなくなり、また企業は合理化や縮小を行なう。
負のスパイラルとかいうそうだが、いたって当たり前の理屈だ。

自虐的で気にしすぎ。世の中、悪い方に進んでいると思っている考え方を変えない限り、景気も良くならないし、心のゆとりも生まれない。
煽られている不安は、誰か一部の利益のためかもしれない。エコ、省エネ、セキュリティ。子供の頃、電話帳に自宅の電話番号を掲載することを躊躇った人はどれだけいただろうか。住所録は個人情報保護に反するなんて聞いたこともなかった。

これもお金と同じで恐怖感を煽られて、必要以上に反応させられているからだ。なんだかリスクばかりを気にして保険を掛けすぎて心もふところも貧しくなっている。

希望の灯りは薄暗く、あるかどうか分からない恐怖の闇に恐れている。
疑心暗鬼。見えない暗闇にいる筈もない鬼を恐れ、不安に苛まれながら生きていくというのは、なんとも悲しいはずだ。
去年の新年のブログを読み返したら、新年に線路に横たわり自殺をした人のことに触れ、今年と同じようなことを書いていた。新たな希望の門出でもある新年に線路に横たわる気持ちは想像の及ばないほどの絶望感があった筈だ。「弱い人間が自殺する」なんてことを言って済ませられるような話ではない。ここ数年続いている暗い話題を晴れ晴れとした時代に変えるには、民主党に頼るだけでなく、皆それぞれの心の中にある鬼を追い払い、良い方向に向うことを信じなければならないだろう。
貧乏臭いことばかり言っていると貧乏くさくなるし、金がなくても心豊かに過ごせば良い方向に向うと信じる方が幸せだと思う。

私も皆さんにとっても良い1年になることを信じて。


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