2010年3月5日金曜日

子殺し




幼児虐待・自動虐待の事件が後をたたず発生している。
今度は奈良で5歳の幼児、埼玉で4歳の幼児が餓死、栄養失調でなくなった。
ろくに食事も与えられず、親に殺されたのだ。
例のごとく保護責任者過失致死とかの罪状で起訴されるのであろう。
未必の故意という言葉があるが、これらの事件はそれに当たらないのだろうか。
食事をろくに与えなかったら、行き着く先は死以外ないはずだ。
それは誰が考えても分かるだろう。
殴る蹴るの暴行を加えて死に至らしめても、過失致死。
法律が甘すぎるのか、私が間違っているのか。
これは、どう見ても殺人以外の何でもないと思う。

亡くなったお子さんを思うと、心が張り裂けるように痛む。
友達と楽しく遊んだり、いろんな物を見て感動したり、誕生日にはケーキを囲んで祝ってもらったり、音楽を聞いたり、多くの未来があったはずだ。
犬だって飼ったかもしれない。
家族で旅行に行っていたかもしれない。
父親、母親の愛情に見守られ幸せに成長する時期に、その親が食事も与えず、暴行を加えるなんて、有り得ない話だ。

今回の事件も周りから定期健診を受けるような働きかけはあったそうだが、法律の限界なのか子供達を救えることは出来なかった。
毎回毎回、耳にするのは、これ以上介入出来なかったという言葉ばかり。
早くどうにかならないものだろうか。

これは、明らかな子殺し、殺人である。
極刑になっても、多くの人は当然に思うだろう。
子供が死んだらゴミのように埋め、家族で外食をしていた親。
家の中で自分達は食事をとり、傍にいる子供には食事を与えない親。
そそうをした事に怒り感情のまま、失神するまで暴行を加える親。
気を失っても暴行を加え続け、命を奪う親。
そんな人間のプライバシーと子供の命とどちらが大切なのか。
言わずもがなである。

西淀川の少女は、食事を与えられないから、近所の家へ行き施しを乞うたと聞く。
死体には、円形脱毛の跡まであったそうだ。
何度も言うが、命と未来を奪われた子供達が可哀想で仕方ない。
せめて天国では安らかに暮らしていてほしい。

以前、我が家にあったカレンダーに、こんな言葉が書かれていた。
「どんなに親を思いを尽くしても親から受けた愛情には及ばない」
本来、親はそういう存在であるはずだ。


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