2009年10月1日木曜日

あの頃

今日は晴れ。雨が止んだ。
やっぱり晴れが良い。

メジャーといえばメジャーだが、石原裕次郎や美空ひばりのようなビッグスターではないが、当時は人気者だった人というのは、テレビに登場する機会もなく、話題に上らないこともあり、余計に懐かしく思う。
既に他界された人もおられるが、私が懐かしく思う方達はこんな人達だ。

まずは、随分と前だがブログに書いたことがあるキャロライン洋子さんだ。くりくりとしたブラウンの髪にベティちゃんのような愛嬌のある女の子だった。お兄さんと一緒に子供番組やCMに登場した。
彼女はかなり頭が良く、アメリカに戻ってから、どこかの大学を素晴らしい成績で卒業し、ヒューレット・パッカードに入社してAIの研究をされたと聞く。現在どうされているかは知らないが、凄いものだ。

昔のテレビ司会者で黒ぶちメガネをかけた外国人男性をご存じないだろうか。艶のある良い声で軽快な司会をされたロイ・ジェームスさんだ。彼は、父親がトルコ人の白系ロシア人の方だったと思うが、随分前にまだ50歳台という若さで亡くなられた。

雷門ケン坊という名前も懐かしい。サスケというテレビ漫画でサスケの吹き替えをやっていた。ブースカにも出演されていた。今はどうされているだろうか。

土曜日の夜7時、明るいナショナル♪の歌が聞こえてくると、家族で楽しみにしている『ズバリ!当てましょう』が始まる。司会は泉大助さん。良い声で番組を進行し、ナショナル製品の価格を当てると商品がもらえるといった番組だった。
泉さんは、ナショナルの顔といった感じだった。
『底抜け脱線ゲーム』の金原さんとともに70年代に人気のあった司会者だ。


こういう人達を思い出すと当時の生活も思い出す。
ローラーで絞る一層式洗濯機、家具調テレビ、ブリキの羽の扇風機、三菱提供のプロレスのマットに登場した風神という掃除機。電子レンジもなかったし、クーラーなんて物もなかった。保温できるジャーが出て来たのもかなり後だった。
お母さんは毎日市場に買い物に行き、一緒に付いて行った。
電池で動くオモチャなんて超高級で、おじいさんに買ってもらうか、クリスマスか誕生日のプレゼントだった。

今はなんでも安くなり、手が届く値段になったせいで、有り難みも薄くなった。
『ズバリ!当てましょう』を観て、羨ましかった時代は持っていなかった分だけ、夢があって幸せだったように思う。

昔の人気者を思い出し、そんなことを感じた。

∧-∧
(=^・^=)kinop

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