2009年9月24日木曜日

責任者出て来い!

「わがまま勝手なことばかり申し上げまして、お叱りの言葉もございましょうが、こんなおもろない漫才聞きとうないわ〜い!というお叱りの言葉もなくご静聴賜りまして誠にありがとうございました。これひたすら、わたくし一人の人徳の致すところでございます。笑いこそ健康の栄養素!凝りと疲労の回復剤。笑え。笑え。笑う門には福来る。皆様のご健康とご発展とを心よりお祈り申し上げ、ボヤキ講座予定終了でございます。」

このフレーズ、懐かしいとお思いの人も少なからずいらっしゃると思う。
この後、「何ぐちゃぐちゃ言うてんねん。この泥亀!」「おかあちゃん、ごめんちゃい。」と続く。
ぼやき漫才の人生幸朗・生恵幸子の締めのくだりである。
牛乳瓶の底のような眼鏡をかけて、当時流行りの歌謡曲の歌詞に文句を付け、最後に「なめてたら承知せえへんぞ!責任者出て来い!」と怒鳴っていた。
桜田淳子の歌で、♪去年のトマトは硬くてまだ青かったは〜♪今年のトマトは真っ赤になった〜、という歌詞に、「トマトは赤なるのに1年も掛かるんか!1年も経ったら腐ってしもとるは!馬鹿もん!責任者出て来い!」という漢字でぼやいていた。
語り口調が素晴らしく。血圧を上げて、少し噛みそうになりながら、一気にぼやく。良いタイミングで、相方の生恵幸子さんが、「あんたいい加減にしときや!しまいに怒ってきはんで!このよだれくり!」と突っ込む。
生恵幸子さんは、金切り声で、大阪独特の言葉で突っ込むのだが、大変お綺麗な方で品もあったので、ちっとも嫌な感じになることはなく、幸郎さんが乗りやすいように支えていたように思う。
年配の漫才師の方が大勢いらっしゃったが、中でもこの御二方がずば抜けて面白かった。ぼやきなんだけど悪口ではなく、親戚の面白い祖父さんがテレビ見ながら文句を言っているような感覚だった。

因みに何故急にこの御二方の話をしたかと言うと、昨日暇つぶしにYouTubeを観ていたら偶然この二人の漫才を目にしたからだ。見入ってしまい、パソコンの前で大爆笑してしまった。久々だったからではなく、本当に面白かったからだ。
いくら名人と呼ばれた人でも、年代が違うと感覚も違い、ちっとも面白くないことがあり、相対的に見ると同世代か少し若手の漫才が面白く感ずる。
しかし、人生幸郎さんの話芸は別格で、上手く表現出来ないがぼやきの内容より、その語り方が魅力溢れているのだ。だから、年代にとらわれず笑えるのかも知れない。
それに、お二人も芸にも品があり、観ていて嫌な気分にはならないのも大事なことだと思う。思えば、島田洋之助・今喜多代、夢いとし・君こいしなどなど、この時代の方々は、皆さん品があったように思う。
因みに島田洋之助・今喜多代のお二人は、島田紳助、さん、島田洋七さん、いくよ・くるよさんの師匠である。

人生幸郎さんは、明治生まれの漫才師で、1982年に74歳で亡くなられた。生恵幸子さんは、幸郎さんが亡くなった後は、幸郎さんを偲ぶ番組には出演されていたが、一線からは退かれ、2007年に83歳で亡くなられた。

今、もう一度観たい漫才というとやっぱり人生幸郎・生恵幸子のぼやき漫才かな。あの「責任者出て来い!」をもう一度聞きたいなあ。

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