自然の「然」は、もっぱらとか、しかりとか、そのとおりになるなどの意味で使われているが、元々は「燃える」という意味の言葉だ。
じゃあ何故、「燃」なんて字があるのかというと、後から違う意味での使い方が増えたので、「然」と区別するため「火」でも付けとくかとなったそうだ。
「然」は、分解すると「月」(肉)、「犬」、「火」になる。
中国の食文化を感じるが、犬の肉を火で焼くところからできた文字だ。
だから、「燃」は下から横からのダブルバーナーのグリルで焼いている訳だ。
最近、中国では近代化の風潮から犬や猫の肉を食べない決まりを作るとか。
ニュースでもマグロや鯨やシーシェパードなど、食に関する話題をよく耳にする。
アカデミー賞のドキュメンタリー部門では、和歌山県太子町のイルカ漁を盗み撮りするなどして撮った『ザ・コーブ』という作品が受賞した。
このドキュメンタリーは事実を描くというより、地元の漁師さんがマフィアか何かのように描いて、イルカ漁に潜入して取材したスリリングな展開が受けているようだ。
オーストラリアのラッド首相の捕鯨に対する感情的なバッシングもおかしな話だ。
オリビア・ニュートンジョンが昔 日本のイルカ漁を批判した事があるが、最近ではショーン・ペンなんかがシーシェパードの支援をしていると聞く。
よその国の食文化を否定している国はどうなんだろうか。
アメリカは、昔は鯨油目的で鯨を大量に獲っていた。
オーストラリアは、農園を荒らされないように毎年カンガルーを大量に射殺している。
欧米では、仔羊や仔牛を食べる食文化がある。
芋虫を食う人達もいれば、犬猫を食う人達もいる。
乱獲は問題かもしれないが、その国々の食文化を否定するのは、感情論であって、道理のとおらない話だ。
世界中がベジタリアンにならない限り、他の動物を食べるのは生きていく上で避けられないことだ。
芋虫や犬猫を食べたいとは思わないが、否定することではないと思う。
昔、世界ウルルン滞在記でモンゴルでお世話になった遊牧民の夫妻を日本に招待する企画があった。
モンゴルでは、飼っている羊を食べるために殺すことは当然のことだが、山口もえさんにとってはショックなことだったようだ。
そのご夫妻に、生きた魚を日本料理店でご馳走することになった。
モンゴルの遊牧民であるため、当然ながら魚自体を見たこともなかった。
ご夫妻は、こんな小さな生き物を食べるのは可哀想だ、と言っていた。
文化の違いは、そういうものだと実感した。
知らないこと、自分の常識にないものは否定してしまうのが、普通の反応だ。
だからこそ、相手の側に立って考えてみなければ、分かり合えないように思う。
それにしても、ああいう内容でアカデミー賞が獲れるという単純な国民性に驚いてしまう。
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